小説

『マルガレータ』次祥子(『白雪姫』)

 古いテーブルの上に置かれた純白の大皿に、その心臓を移し替え使用人は部屋を出て行った。無論、マルガレータはこのことは決して他言せぬよう、使用人に言い渡すのを忘れていない。
 鏡には白雪姫のガラスの棺が映し出されて、その周りには悲しむ人達が集まっている。
 鏡をすっかり騙せたと思ったマルガレータは、テーブルの大皿を鏡の前に近づけた。そして持っていたナイフの先端を血だまりの中に差し込みながらツノハシバミの実に話しかけた。
「お前の嫌う白雪姫の心臓はここにある。死んでしまったのだから白雪姫のことはもう忘れなさい。二度と思い出してはいけないよ」
 異様な光景の部屋はシーンと静まり返っていた。
「どうしてナイフなんか持ってるの」と暫くしてツノハシバミの実が聞いた。
「お前に食べさせてやろうと思ってね。憎い白雪姫の心臓だもの、きっと美味しいに決まっているよ」とマルガレータは応えた。
「ずいぶん大きな心臓だね」ツノハシバミの実はニヤリとして言った。
「そりゃあ……」と言い掛けてマルガレータは血の気が引いた。家畜の種類までは気が回らず指示しなかったのである。言われてみれば牛か馬か、どちらにしてもこどもの心臓の倍ほどもある大きさだ。
 必死で芝居をしていたのに、何もかも水の泡である。それこそマルガレータの心臓は止まりそうだった。
 鏡を見れば既にガラスの棺は映っておらず、代わりに少年が立っていた。良く見ればいつもの服装ではないが、紛れもなく白雪姫である。どうやっても鏡から逃れることができない。万策尽きてもうへとへとであった。
「そんなに白雪姫を助けたいの?」と小憎らしいツノハシバミの実が言った。
「その通りだ、お前なんかに殺されてたまるものか」もはや気品も品格もかなぐり捨てマルガレータは鏡の主と対決していた。
「どうして白雪姫を助けたいの?」相も変わらず小憎らしい物言いである。
「親だからに決まっているじゃないの!」彼女は向きになって応えた。
「継母は母親なんかじゃないよ」ますます小憎らしい。
「それが何だっていうの!」マルガレータは思わず立ち上がり、声を荒立てた。
「きっと何もできやしないさ」鏡の主はふてぶてしく言い捨てた。
「この私が、白雪姫を守れないとでも思っているの」彼女は怒りで体が震えた。
 話の途中で、いきなり鏡は消えてしまった。
 マルガレータはまだまだ言い足りない気分であったが、もう疲労困憊して椅子にもたれ掛かかったまま動けなかった。
通り掛かった侍女は、テーブルの臓物に悲鳴を上げたが、マルガレータはもうどうでも良かった。とにかく横になりたい。
 翌朝、石壁の部屋に行ってみると、大皿ごとテーブルの臓物は片付けられていた。さぞかし世間には良からぬ噂が立つことだろうとマルガレータは苦笑し、やれやれと思い壁を見て驚いた。

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