小説

『ツルと持参金』永佑輔(『持参金』『鶴の恩返し』)

「そんなはした金、午後までに振り込んどくよ」
 林は軽い調子で答えた拍子に片方の靴を濡らしてしまった。

 窓を閉め切っているにもかかわらず室外機がガタガタ、せみがジャワジャワうるさい部屋にノイズ交じりのラジオが流れている。
 吉浜がこわごわ通帳をめくってみると、約束が果たされた形跡は見当たらない。
「やっぱりな」
 通帳を放って恨めしそうに卵を見やったタイミングで、呼び鈴が鳴る。
 やって来たのは汗だくの坂東と、そして片方の靴だけ履き替えた林だ。
「コイツが後輩の林。持参金付きの卵を譲り受けてくれるそうだ」
「やや、ソイツは同級生の林です。俺に金を返済してくれるんです」
「ちょっとタンマ。吉浜は俺に卵と金を渡すわけだろ? 俺はその金を吉浜に返すわけだろ? 吉浜はその金と卵を俺に渡すわけだろ? で、俺はその金を吉浜に返すわけだろ? このグルグル回ってる金は一体どこから発生するんだ?」
 吉浜と坂東はあり得ない道理だと理解した。林はとうとう最後まで理解できなかった。
 ブルッ、と卵が小刻みに動く。
 パリッ、殻にヒビが入る。
 二日前に動物園から逃げたタンチョウが未だに見つかっていない、とラジオが笑っている。
 ラジオを見やると、吉浜は今朝の記憶が呼び覚まされる。

「げーげっげーげー!」
 すっぽん、ころころ。
「千鶴は俺たちと違う。出て行ってくれ」
 千鶴は怒りに任せて吉浜を突き飛ばし、玄関を開けた。
 後頭部をしたたか打った吉浜は、朦朧としながらタンチョウが飛び立つ羽の音を聞いていた。

 卵はもう間もなく孵化しそうだ。
 坂東と林は固唾を飲んで見入っている。
 ラジオがタンチョウを笑っている。
 吉浜はラジオを切ろうとする。
 せみがうっとうしい。
 ラジオは故障しているらしく切ることができない。
 室外機が耳障りだ。
 いよいよラジオを破壊しようとする。
 その刹那、室外機とせみ時雨を上回る大きさで、鳥が羽ばたく音がする。
 カーテンと窓を開けて外を眺めたけれど、まぶしくて目が明けられない。吉浜は手で顔を覆って指の隙間から空を見やり、ようやく一羽のタンチョウが低空飛行しているのを確認した。
「ちづ……」
 吉浜が言いかける。
 動物園職員らがタンチョウを網でキャッチして歓声を上げた。
 タンチョウは網に絡まり、悲鳴を上げながらもがき苦しんでいる。

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