「まぁチェシャ猫じゃない。随分久しぶりね。何だ貴方だったの。貴方ったら、またそんな高い樹の上から私を見下ろして…まぁ、猫だから仕方ないか。貴方は、私を覚えているの?」
「覚えてなんかいないさ。おいらはお前を知っているんだ」
ニヤニヤと笑う猫を見て、アリスは肩を竦めます。
「相変わらず変な猫ね。まだ穴に落ちてもいないのに現れるなんて、気が早いんだから」
「そこだよ御嬢さん」
「え?…キャッ!?」
アリスが大きな声を上げたのも、無理はありません。
さっきまで樹の上にいた筈のチェシャ猫が、突然背後に現れていたのですから。
チェシャ猫とは、大きな口をぐっとアリスに寄せて囁きます。
「…いいのかい?本当にそこへ、飛び降りて」
「…何を言っているの?穴には、飛び込むものよ」
そう答えると、猫は皿のような目玉を細くして続けました。
「お前さん、本当は解っているんだろう?飛び降りたって、不思議の国へはいけやしないって」
猫の言葉に、アリスはむっとして言い返しました。
「いけるわよ。だって、私は飛び降りるんじゃなくて、飛び込むんですもの」
アリスは胸を張りますが、猫は少しも怯む事無く、それどころかニヤニヤと笑っています。その顔に、アリスは肩を竦めて呟きました。
「貴方ってば、相変わらず変なことを言う猫ね。ちっとも可愛くないし。…大人みたいで嫌な感じ」
と、いい加減うんざりしたアリスが脚を穴の方へ向けた、その時。
「これは―――」
チェシャ猫の強い声が囁きました。
「これは最後の忠告かも知れないぜ?『お前』はそれでいいのか?」
「っ…お前お前って…失礼だわ!私はアリスよ!」
そう怒鳴りつけて振り返りますが、視界にの中に猫は映りません。
キョロキョロ辺りを見渡していると、あの不気味な笑い声だけが聞こえてきます。アリスは更に腹をたてて、何となく声がしている方を睨みました。
「…貴方が何て言ったって、私は行くんだから!…そうよ、怖くなんてないわ。だって、私は不思議の国へ行くんですもの」
自身に言い聞かせるように、アリスは一つ大きく息を吸います。
飛び込むのは二回目ですが、やっぱり少し緊張しているようです。
けれど、いつまでもこうしてはいられません。
アリスは、思い切ってその穴へ、身を投げました。
「―――えいっ!」
風をきる音が、アリスの耳に届きます。
アリスの身体は、暗い穴の中を、どんどんと落ちていきました。間もなくして、ドサッという鈍い音が聞こえた後、アリスは風を切る音が止んだ事、そしてお尻が少し痛い事に気付きました。
「…あいたたた…。やっぱり何回落ちても痛いものは痛いわね。…あら?」
お尻を摩りながら辺りを見渡したアリスは、周囲の様子に気付きました。