小説

『Erlkönig』希音伶美(『魔王』)

 ヨハンが学校に入ってからも、森での逢瀬は変わらなかった。ヨハンには他に友人ができ、挑戦と挫折があり、恋をした。その全てを、ヨハンは森深くの友人と分かち合い続けた。
 しかし十三歳になって、ヨハンは街の学校に進むことになった。
「あまりここには来られなくなる」
 ヨハンはハンノキの幹を撫でた。近頃は、エールは姿を見せず語らうことが多かった。
――わかるよ
「だから、覚えているよ。僕が三十三歳になった時だね」
――……忘れないで
 そう言ったエールの声はいつもより弱々しく聞こえた。年老いて疲れたような、あるいは逆に、幼くあどけないような声だった。
「忘れない」
 成長するにつれ、エールのハンノキは小さく見えるようになった。エールは全能の精霊などではなく、悩み苦しむひとつの魂であると思うようになるにつれ、ヨハンはむしろ一層、彼を愛しく思った。
 忘れるはずがない、とヨハンは思っていた。
 想いは強く不変だと、最も強く信じられる年ごろだった。

 二十年後、ヨハンは森に居なかった。
 忘れられた森の奥で、一本のハンノキは朽ちようとしていた。
 枯れ枝のような干からびた指先が、湖に沈んだままになっている。年老いた木の精霊は今までいくつの愛をこうして失ってきただろうか。
 そして恨みを募らせて、再びその木は燃え上がるように若返った。青々とした葉を広く茂らせ、森を覆い尽くさんばかりに太い枝を巡らせた。
――森よ
 不思議な深い声が響いた。
――森よ、人間を恨もう
 冬の湖畔に、ハンノキが妖しく青々と茂っている。噎せ返るような深緑を輝かせる姿は、まるで魔物が憑いたかのようだった。

 こんな夜更けに、冬の枯れた森の中を駆け抜けるのは誰だろう。
 ヨハンは六歳の息子を抱いて馬を駆っていた。今夜中に町に出るには、故郷近くの森を抜けるしかない。抱いている体は熱く、息が早い。朝には引いていた熱がぶり返したようだ。急がなければならなかった。

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