小説

『20年目の暴走』佐藤邦彦【「20」にまつわる物語】(『美女と野獣』)

 「ラスンめ、なかなかやりおるわい。しかし、幻沼(まぼろしぬま)の主である幻竜に果たして勝てるかな?」
 魔王の間で甕を覗いていたボブバが言い、椅子に縛り付けられているミルマ姫を見やる。
 「ラスン様が負けるわけなどありませぬ!」
 キッとボブバを睨み、強い口調でミルマ姫が応じ、私心を捨て、公の為に甘んじて辱めを受けているのであろうその姿に憐憫の情を抱いたボブバが思わず目を逸らす。
 (一番哀れなのはこのミルマ姫よな。国や民の為とはいえ気の毒に)との胸の裡を当然言葉に出来る筈もなく、目を逸らした事を誤魔化す為、甕を再び覗き込む。
 (姉さんは良かった。私がいたから……。でも、私がバトンを渡す相手は未だいない……。一体いつまで純情可憐な姫を続ければいいというの……。もう限界……)ミルマ姫が心中溜息を吐くが、勿論表に出せるわけもなく目を伏せそっと俯く。
 「ふっふっふっ。ミルマ姫よ、ラスンが負けるわけはないと申すか。ではこちらに来てこの甕を覗くが良い……。哈ッ!」
 部屋に満ちている沈鬱な空気を消し去ろうとするかの様に鋭い呼気(主観としては)と共にボブバが胸の前で交差させた肩より上にあがらない両手を勢いよく(主観としては)左右に払うと、俯いていたミルマ姫の縛めが触れてもいないのに引きちぎられる。
「この甕を覗くが良い!」
ボブバが少し苛立った声で再度声を掛けると、自己の内面に深く没入していたミルマ姫が我に返り、慌てて驚愕の表情を作ってから、大袈裟な程に怖ず怖ずとした足取りで甕へと歩を進める。

 「ぐぬぅ…!」
 幻沼から飛び出してきた、角を生やし、鋭い牙を持った無数の魚がラスンの全身に喰らい付き、ラスンの全身からは夥しい血が流れている。幻竜の配下である鬼魚(きぎょ)たちの仕業である。
 「歴戦の勇者ラスンよ。我が下僕(しもべ)の味は如何かな。もっとも味わわれているのは貴殿の方かな?」
 巨大な半身を水面から屹立させ、鬱蒼とした森の木漏れ日さえ、その巨体で遮りながらラスンを見下ろした幻竜が言う。
 「幻竜よ。貴様の手下が喰らったこのラスンの血肉、安くはないぞ!コイツらの命では釣銭が出ぬどころか、到底足りぬ! 哼(ふん)っ!」
 裂帛(れっぱく)の気合がラスンの口より放たれると、‘気‘に当てられたのか、ぼたりぼたり、とラスンの全身を覆っていた鬼魚たちが足元へ落ち悶絶する。
 「さあ、不足分は貴様の命で支払ってもらおう!」
 ラスンが幻竜を見据える。
 「お見事!流石は勇者ラスン。しかし、その程度では我が力には到底及ばぬ」

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