「お主が安藤遊助か」
「あ、よろしくお願いします」
差し伸ばされた老師の手に触れると、実際に握手をしている感覚があった。
「触感まで?!でも、これって他の人には見えてないんですよね?」
「安藤さんにしか見えないので、私には虚空を掴んでいるようにしか見えませんよ」
老師が遊助をぎろりと見つめてくる。
「して、遊助よ。お主が叶えたい望みはなんだ?」
「望み、ですか?」
美人で性格の良い彼女が欲しい、もっと金がほしい、何より働かずに生きていきたいなどなど。望みはあれこれ出てきたが、無難に営業成績を伸ばすことにしておく。
「よかろう。わしが力を貸そう」
にっこりと優しく微笑みながら静かに頷く老師に遊助は胸が弾んできた。まるでSFの世界に飛び込んだようで、初めての体験に期待を寄せてしまう。
だが、それが甘い考えであったと遊助はすぐに思い知ることになるのだった。
翌朝。古びた木造のアパートの寝室にスマホのアラームが鳴り響く。起床時間の7時を告げるも、遊助は布団の中でうだうだしていた。
「まだ余裕で間に合うし……」
身体を包み込む心地良さに浸っていると、いきなり激しく頬を叩かれ、あまりの痛みにパッと目が覚める。
「いった!え…?な、なに?」
「たわけが!!何を朝からぐうたらしておる!」
「…ろ、老師?」
烈火のごとく怒った老師が見下すようにして枕元に立っている。今の痛みはなんだったのか?と遊助が考える間もなく、老師は急かしてきた。
「さっさと支度をせい!」
「は、はい!」
老師の迫力に負け、遊助は慌てて布団から這い出して準備を始めた。その間も「余裕を持って起きよ!」「なぜ朝食を取らない!」「まずは生活態度を改めねばな!」と老師の小言が怒涛のように押し寄せて来る。
初日からこれかよと憂鬱な思いを抱きつつ、遊助はいつもより早く家を飛び出した。
会社に到着すると、まだ誰もオフィスには来ておらず遊助が一番だった。こんな時間にくるのは入社したとき以来かもなと遊助は思った。人のいないフロアにはきらきらした朝日が差し込み、神聖な気持ちが足元から昇ってくる。
「何を驚いておる?」
「いえ、なんていうか…」