小説

『バーチャル老師』津田康記【「20」にまつわる物語】

 人間にとってサボりという行為は悪魔の誘惑のように甘美で、つい気を許してしまうとどこまでもはまり込んでしまう。そのサボりとどう向き合っていくかは人類にとって長年の課題であり、サボりを改善するためのサービスはいつも人気商材だった。
 バーチャルトレーナーとは、その名の通り人間ではなくバーチャルリアリティを応用してサービスを提供するものだった。AIが搭載された特殊なチップを頭の中に埋め込むと、トレーナーが視覚に映し出されて様々なサポートをしてくれる。今後は人材業界の主力商品になるだろうと上司から配布された資料を元に同僚たちが話していたことを遊助は思い出した。もちろん遊助は、資料にろくに目を通すことなく捨ててしまっていた。
「君には使用感のレポートを毎日提出して欲しい。通常の仕事をこなしながら」
 戸田の言葉から、バーチャルトレーナーで俺のサボりを改善し、さらに実績として使おうとしているのだなと遊助は想像した。
「わかりました」
「特別手当も出す」
「ありがとうございます!」
 特別手当という響きに思わず反応してしまったものの、一抹の不安が遊助の胸をよぎる。いくら自分がテストに適しているからとは言え、お金まで出すなんて?まさか脳に弊害が出る危険性があるのでは?だから特別手当なんてものが……。
「大丈夫だ、命に危険はない」
 遊助の不安を察したのか、戸田は安心させるように伝えてくる。
「何か問題があれば、外したり止めたりできるんですよね?」
「当然だ」
 いくらドSのクソ野郎であっても、さすがに命まではとるはずがない。それにたった20日間の体験で給料を多めにもらえて、クビまで回避できるのだからメリットしかないと、遊助はこの誘いを受けることに決めた。

 翌日。会社帰りに手術をしてくれる大学病院へとやってきた。医師が注射器のようなものでAIのチップを遊助の頭に埋め込む。よほど針が細いのか全く痛みもなく終わると、引き続きトレーナーの設定に入った。
「どんな好みのタイプにも出来ますよ」
「え?どんなって……」
 一瞬、グラビアアイドルや好みの女優の姿が遊助の頭に浮かぶも、独身男にとってそんな生活は刺激が強すぎる。あくまでも会社の仕事なのだからと、遊助は男性トレーナーにすることにした。
「では、起動します」
「お願いします」
 緊張した面持ちで遊助が待っていると、ぶおんという軽い音とともにトレーナーが目の前に現れ、そのリアルな質感に驚きの声を漏らしてしまった。
「すげー」
 遊助の目の前にいる男は、古ぼけた長めのローブをまとった老人で、右手に樫の木でできた杖を持ち、口には豊かな白ひげをたくわえ、目は狼のように鋭かった。遊助は彼を『老師』と呼ぶことにした。

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