小説

『ボクと小さな本屋さん』鈴木沙弥香【「20」にまつわる物語】

 いつだったか、香菜さんが恋についてボクに語って来たことがあった。それは香菜さんと出会ってすぐのこと。

 ボクはまだお店になれていなくて、どこに何があるかを覚えようと店内を歩いていた時だった、本棚の陰から香菜さんがひょこっと顔を出した。ボクは驚いて思わず身を縮めた。
「そんなに驚かないでよ。幽霊じゃないんだから」
 香菜さんは本棚をぐるりと見て、「君も恋愛とかするのかな?」と小さく呟いた。
 ボクは周りにある本棚を見渡して、どうやらここは、恋愛に関する本が置かれたエリアであることを理解した。香菜さんは、本棚から適当に小説を取り、棚を背にしてパラパラとページをめくっていく。
「知ってる? 恋ってとても面倒くさいものだって」
 そもそもボクには“恋”がどういうものなのか分からない。だからちょっと興味がある。一体どんなものなのか。“恋”をするとどうなるのか。ボクはじっと香菜さんの声に耳を傾けた。
「恋をするとね、今まで自分の中に無かった不安とか、寂しさが一気に押し寄せてくるの。平穏な毎日にマイナスの感情が乗っかるのよ。それも毎日。面倒くさいでしょ?」
 確かに面倒くさい。できることならボクは、なんのマイナスの感情も持たずに、平和に暮らしていたいと思う。
「でもね、どんなに面倒くさいって思っても、好きな人と一緒にいる時間は、マイナスな感情なんてどうでもよくなるくらい楽しいの。穏やかで、優しくなれて……。人間の心って単純なのね」
 もしかしたら、香菜さんはボクと出会う前まで恋をしていて、それが上手くいかなかったのではないだろうか。それとも現在進行形で恋をしているのだろうか。そう思ったのは、あの日ボクは、綺麗に笑った香菜さんに寂しさを見た気がしたからだ。

 
 その日珍しく、ボクは店の外に出た。いつも通りお店で暇を持て余し、入り口から何気なく外を見ていたら、店の前を紗枝ちゃんが通って行ったのだ。ボクは思わず店から飛び出して紗枝ちゃんの後を追った。
 晴れた日に紗枝ちゃんを見るのは初めてで、ボクの心臓は張り裂けそうなくらいドキドキと脈を打っていた。それは捉え方によってはとても気持ち悪いことの様に思われるかもしれないけど、ボクにとっては純粋な好奇心に過ぎなかった、と思う。
 暫く後をつけると、紗枝ちゃんは慣れた様に公園へと入って行った。ボクも紗枝ちゃんの後に続く。
 最初に目に入ったのは、塗装が剥がれ、茶色くさびてしまっている滑り台。大きさはそれなりにあるし、公園の中央に目立つように設置されているのに存在感がなく、まるでそれは、自ら存在を消してしまっているかのようだった。公園には他に目立つ遊具は無く、この公園は一体どんな目的で作られたのだろうかと疑問に思った。ましてや公園というよりも、空き地と言った方がしっくりくるのではないかと思うほどの閑散とした空間。

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