小説

『ボクと小さな本屋さん』鈴木沙弥香【「20」にまつわる物語】

 か細い声での紗枝ちゃんの謝罪。そんなに悲しそうな顔をしてしまうなら、ボクがプレゼントしてあげたい。なんなら分割払いでもいいのではないかと本気で思ってしまったくらい。すると、香菜さんは絵本をそっと机の上に置いて、ペン立てにさしてあったマーカーを手に取った。
「名前、なんていうの?」
「えっ」
「あなたの名前」
「名前……」
「あ、どういう字書くかも教えて」
「あ、えっと……紗枝、です。“サ”は糸偏に少ないで、“エ”は枝です」
「紗枝ちゃんね」
 香菜さんは復唱すると、絵本の表紙に大きく“紗枝専用”とマーカーで書いた。なるほど。容姿も綺麗だけど、字も綺麗。そしてなにより心が綺麗だ、なんて。
 香菜さんは名前が書かれた絵本を紗枝ちゃんに差し出した。
「はい」
「……」
「書いてあるでしょ。これ、あなた専用よ」
 香菜さんに差し出された絵本を遠慮がちに受け取る紗枝ちゃん。
「あの、お金は……」
「いいのよ別に。だってここの本屋は、私の書斎みたいなものだもの」
 まぁ確かにそうかも。香菜さんはお店に入る時、基本的に本ばかり読んでいる。お客さんが居ようとおかまいなしにずっと読んでいる。香菜さんがいるからこそ、この本屋は穏やかでゆったりとした雰囲気を保てているのだ。改めて、ボクは香菜さんがいるこの穏やかな本屋がとても好きだと思った。
「あの、これここに置いていってもいいですか?」
「どうぞ」
「読みに通ってもいいですか?」
「もちろん」
 この本屋には笑顔が可愛い人が集まるのだろうか。ボクは香菜さんと紗枝ちゃんのやり取りをぼんやりと見つめながら思った。
「ありがとうございます……!」
 その笑顔は反則だ。
「どういたしまして」
 その笑顔も。

 
 人を好きになるってどういうことなのだろう。

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