小説

『ボクと小さな本屋さん』鈴木沙弥香【「20」にまつわる物語】

「雨が降った後は空が道に映るのよ。ずーっとどこまでも、空の上を歩いていける。雨が嫌いな人でも、その光景が見たくて雨が楽しみになるんじゃない?」

 確かにその光景はとても綺麗だろう。“あの子”もきっと、雨が降った後にこんな景色が広がっていたら喜ぶに違いない。そうだ、今日は久しぶりの雨だ。心の底から待ちわびていた念願の雨。雨の日にしかえない“あの子”に会える。きっと今日も来るであろう“あの子”を思いながら、ボクはもう一度ウユニ塩湖に目を戻した。
 カランカラン。入り口の飾りが鳴る。誰か入って来たようだ。ボクは首を伸ばして入り口を見た。あ、来た。“あの子”だ。ボクは思わず、背筋を伸ばす。
「こんにちは、紗枝ちゃん」
 香菜さんがとても優しい声でそう言った。
 あの子――、紗枝ちゃんは少し恥ずかしそうに「こんにちは」と香菜さんに小さく答え、隣に居るボクを見ると無邪気な笑顔で「こんにちは」と言った。
 ボクはテンションが上がっていることを隠すため、冷静に小さく「こんにちは」と答えた。
 紗枝ちゃんはこの近くの中学校に通う女の子。確か年齢は今年で15才になると言っていた。綺麗な黒髪に大きくてつぶらな目。まるでお人形さんの様に可愛いけれど、髪の毛はショートカットで、やんちゃなのか所々に絆創膏も貼っている。可愛らしい中に男の子っぽい雰囲気も持っていて、不思議な魅力がある子だ。
 決まって雨の日だけにやってくるから、何か特別な事情があるのだろうけど、香菜さんもボクもあえてそこは気にしないようにしていた。何となくだけど、聞いたら紗枝ちゃんを傷つけるかもしれないというのが、香菜さんにもボクにも分かったから。本当に何となくだけど。
「あれ、今日傘持ってたの?」
「鞄に、折り畳み傘を入れておくようにしてるんです」
「なるほど。念には念をって言うもんね」
 香菜さんはしみじみとそう言って、再び写真集に目を落とした。
 紗枝ちゃんはいつも通り、絵本が並べられた本棚に行って、お気に入りの【ぐりとぐら】シリーズを手に取り、本棚近くにある1人用のソファーにちょこんと座って絵本を読み始めた。
 そういえば、先ほど駆け込んできたずぶ濡れの男はどこに行ったのだろう。ボクは座っていた椅子から降りて、店内を見て回る。店内はさほど広くもないし、ちゃんとした本屋というより、映画とかに出てきそうな小洒落た小さな本屋のため、誰がどこにいるかは受付から見てわかる。けれど、店が小さい分、本棚が縦に長いため、場所によっては死角になってしまい、見えなくなってしまうのだ。

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