小説

『成人式なんて思いやりのないものを毎年テレビで放映しないでほしい』岸辺ラクロ【「20」にまつわる物語】

 2週間引きこもった後で、また職員用の玄関から隠れるように一階の隅の特別教室に通う生活が始まった。特別教室には相変わらず僕の他に2人の男子生徒がいたし、給食の時間には岡本が給食を運んできてくれてた。
 変わったことが一つあったのだとしたら、木曜日。美里からの電話がなくなった。たぶん、修学旅行だけ来て学校に来ない僕にいい加減愛想をつかしたのだろうと思った、その時は。

 修学旅行から六週間ほどたった梅雨の真ん中のある日、いつものように職員用の玄関から入っていこうとすると、ジャージを着た美里が職員室の前に立っていた。皆は授業を受けている時間だったお互いに不意を突かれたみたいで、目が合うと、数秒見つめあうかたちになった。思わず薄ら笑いを浮かべてお辞儀をすると、美里は何かを諦めたように肩を落として笑った。なぜだかわからなかったが、彼女は肩をガチガチにして緊張していたみたいだった。笑いながら僕の方に歩いてきて、手を差し出した。
「え」と言うと、
「板倉くん、握手してよ」とのこと。
 手に取った彼女の手は、彼女の容姿とは不釣り合いなほど、幼かった。細く、短い少女の指が僕の手を包んだ。その時に、いつの間にやら自分の手が、男の手になっていたことに気が付いた。
「勇気出た、ありがと。じゃあね」と言ってしまって職員室に彼女は入って行った。僕はしばらく廊下に立ち尽くしていたが、廊下の向こうから、おそらく体育の授業から戻ってきたと思われる生徒たちの、鳥の大群のようなざわざわが聞こえてきて逃げるように保健室の隣の特別教室に駆け込んだ。

 僕は結局、年が明けて一月になってようやく教室に行けるようになった。そしてその時には美里はすでに転校してしまった。彼女が去年の六月に妊娠中絶の手術を受けたということは卒業式の前日に知った。卒業アルバムには美里の、これから何が起こるか何も知らないあどけない少女の姿があった。僕が高校を中退した際に卒業アルバムの自分の顔をすべて塗りつぶしても遂に捨てなかったのは、アルバムの中の美里がどれも素晴らしい笑顔で写っていたからだった。

 §

 いつの間にかテーブルの上には猛禽類が食い散らかしたようなありさまの食べ残しと、もう誰が飲んだともしれないビールや炭酸がそこかしこに置いてあった。クラスの代表者たちが当時の担任の先生に手紙と花束を渡すらしく、不登校だった僕にも何となく見覚えのある顔ぶれが、壇上で真っ赤な顔をして花束とラッピングされた箱を持っていた。
 中三の時の僕のクラス代表が担任に花束を渡したとき、泣きじゃくった担任の先生が、司会のマイクを奪った。
「えーー、皆さんちょっとこっちを向いて聞いて下さい。実は、いま私に花束を渡してくれた川口が、このたび来年度から教育実習生として四中に来ることが決まりました」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10