小説

『成人式なんて思いやりのないものを毎年テレビで放映しないでほしい』岸辺ラクロ【「20」にまつわる物語】

 あぁそっかぁ、やっぱり単なる噂か、と呑気に言う大沼の横で、僕はしばらく固まって動けなかった。なんせたった一時間程前に、僕はその井上が美里の肩を抱いてどこかへ出ていくのを見たばかりだったからだ。
「なんだよ、ぼーーっとして、お前も美里のこと好きだったのか?」
 そう言って笑いながら、岡本が僕の肩を軽くパンチした。僕はその希望に満ちた少年の前では、顔が引きつらないように苦笑いをするのがやっとだった。

 

 
 翌朝、「修学旅行のしおり」には載っていない全校集会が開かれた。朝食が終わると旅館の前、バス用の駐車場のスペースに全校集会の要領で整列させられた。にわかにざわついていた僕たちを、生徒指導の先生が一括し、少し暑い五月の京都の空気の中、僕たちのいる空間だけが妙な緊張と興奮に包まれていた。
「えーー。こんな形で君たちを集めることになってしまって先生は悲しいです。皆も……」
 先生が昨日の夜、旅館を抜け出していかがわしい所へ行った生徒がいる、と告げた時僕の隣にいた岡本はひゅー、と呟いた。生徒たちが沸騰し始めたお湯のようにそこかしこでざわざわしだして、「静かに!」という怒声が再び果てしない青空の下に響いた。
「なぁ、お前、昨日ずいぶん長く帰って来なかったけどお前じゃないよな」
「違うよ。俺はあいつに怒られてたんだよ」
 そう言って前の生徒指導の先生を指さした。
「ま、そうか。そう言ってたもんなしかし、誰なんだろうな。羨ましいなぁ」
「ほんとだよな」そう言って後ろを振り返ったその時、伝言ゲームのように耳打ちしては驚いている生徒たちが目に入った。それは隣の岡本も同じだったみたいで、彼は中腰のままその生徒たちのもとに行こうとした。僕は思わず岡本の右腕を掴んだ。自分でも思いがけないほど強い力になった。
「痛っつ。なんだよ」岡本の目には僅かだが、敵意の色が浮かんでいる。
「い、いや、まだ集会中だろ。大人しく座ってろよ」
「へーきへーき。ぱっと聞いて、すぐ戻ってくるから。俺最近、好奇心旺盛すぎるんだよね」
 そう言って乱暴に僕の手を振り払って、岡本は中腰のまま後ろの生徒たちの所へ行った。にやついた顔の生徒に耳打ちされた時、岡本の体はピクッと動いて、そのまま石にされたみたいに固まった。風に吹かれる雑木林のようにざわめく生徒たちの中で、彼だけが中腰の姿勢のまま、無機物の沈黙を保っていた。

 
 修学旅行が終わった後で、僕は3日教室へ行った。皆と同じように登校し、皆と同じように授業を受けた。その後で、2週間全く学校に行かなかった。教室で特に嫌な思いをしたわけではなかった。廊下でだしぬけに誰かから嫌な言葉をかけられたわけでもなかった。ただ、何となく、再び行けなくなってしまった。

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