「リク‼ 電話だよーー」
階段を駆け上ってくる足音に焦りながら、PSPを急いでしまう。部屋のノックをして一秒も立たないうちにドアが開けられた。
「電話。藤咲さんっていう女の子から」
なんとなく気恥ずかしかった。もちろんすごく嬉しかったのだけど、それを隠すように僕はのそのそと起き上がり、廊下に置かれた電話の受話器を手に取った。母はとっさに子機ではなく親機の電話を取っていた。
「もしもし」
冷たい受話器から聞こえてきたくぐもった声は、確かに美里の声なのだがずいぶん幼く聞こえた。
「もしもし」
「あ、板倉くんだ。元気?」
「うん。元気」思わずそう答えて後悔した。「じゃ、学校来なよ」と言われるかもしれないな、と思ったからだ。
「そっか、元気なんだ。よかった」
美里はそう続けた。それから、とりとめのない話をした。彼女がクラスの様子を話して、僕が今読んでいる本の話をして、「ぴゅーっと吹くジャガー」の話をして笑った。彼女は兄がいて、兄が毎週買ってくる少年ジャンプの、一番後ろの漫画だけ好きで読んでいると言った。気が付くと70分も電話で話していた。廊下に70分も置き去りにされた体の端々は痛いほど冷たくなっていたが、電話を切った時、なぜだかみぞおちの下辺りに温かさが残っているのが分かった。彼女はついに一言も学校においでよ、とは言わなかった。何となく、明日学校に行けるかもな、と思った。だけれども翌朝起きると体のどこかにともっていた火は消え去ってしまい、何かを守るような体勢をベッドの上で取っていた。
そのまま、何も変わらないまま、美里と僕の会話だけが積もって春になった。
新三年生になっても、僕の生活には変わりがなかった。ただ僕の周りで変わった人はいた。両親だ。
「リクよ。学校に行かなくてもいいから、修学旅行だけは行きなさい。友達がいないわけじゃないんだろ」
実際にその通りで、二週間に一度くらいは岡本や僕の男友達がプリントやら学級日誌やらをもってくれていた。あの頃は、引きこもっても僕の周りに人がいたのだ。今や、引きこもってなくても僕の周りに人がいない。
四月になって少しずつ、学校に行くようになった。そこで初めて自分の抱えている問題に気が付いた。どうしても、教室に行けなかった。怖い。怖すぎる。
それから、皆が登校しきって、授業を受けている時間。例えば朝の9時半とかに登校して、職員用の玄関から学校に入り、逃げ隠れるように特別教室、と言われている保健室の隣、一階の隅にある教室に登校する日々が続いた。特別教室には、あと二人先客がいた。二人とも男で、二人とも一年生の時から一日も教室に来てなかった。