ただ、一郎の声だけを耳に残し。
「伝統工芸……例えばさ、笠だってちゃんと編めばひとつ五千円くらいはするんじゃないの?」
餅の他にも、何かしら買えるくらいは、稼げるかも知れぬ。
じいさんはもはや、どんな声も気にせず、一心に編み続けました。
じいさんは三日ほどをついやしてようやくのこと、大晦日の朝までに笠をひとやま、こしらえ上げました。
かなりの自信作となりました。
それにありがたいことに、菅はもう歌うのをやめたようで、笠はいつまでも笠らしく、しん、としておりました。
編み目の細かさは、どんな雨でも雪でも通しそうもありません。どこに出してもひけを取るまい、と、少し自慢したい気もあって、じいさんは
「ほれ」
と、出来あがったものをばあさんに見せてやりました。
ばあさんは久しぶりに、やや面白げな眼をして
「それ、どうすんの?」
と訊いてきました。
「町に売りに行く」
じいさんは胸をはってそう答えました。
「いくらで売んの」
ばあさんがまた訊きます。
「ひとつ五千円かな。全部売れたら二万五千円」
やや声が小さくなったじいさんに、ばあさんが「へえ」と笑うので、じいさんの声はまた小さくなりました。
「まあ、値引くかもしれん、多く買ってくれればな」
ばあさんは言いました。「バス賃くらいは、でるといいな」
まるっきり馬鹿にしくさって、と、じいさんはあまり面白い心地はしませんでしたが、それでも出がけ、まだ朝日の赤いのが霜なぞ融かしそうもない朝早くに、ばあさんが
「せめて昼代くらいは浮かせてけ」
と、渡してくれた紙包みに、少しばかり頬が緩みました。
中身はたぶん、じいさんの好物である、味噌を塗った焼きむすびでしょう。
「まあ、期待はするなや」
そう言いながら、包みを押し頂いて腰に結わえ、笠をひとやま背負い、じいさんはよっこらしょ、と立ち上がりました。
じいさんは、免許を返納してからいつも、バスを使っておりました。バスは二時間に一本ほどしかありません。なので、今日も朝早くから出かけて行きました。
家からバス停までは歩いて、近道を通っても小半時はかかります。