餅くらいは少しは買いたいものだ、いくら小僧らが帰って来ずとも、少しばかりは正月の支度をせねば、とばあさんに言ってみたのですが、ばあさんは
「もう、なんでもいいや」
それしか、言ってくれません。
目の中の光ははるか遠くかすみ、その遠さがあまりにも切なくなって、じいさんは思い出したように納戸の奥から、すっかり干した菅の束を出してきました。
昔覚えていた、笠を編んでみようと急に思いたったのです。
菅笠は、ただ見たよりもずいぶん作るのに手間がかかるものなのです。この菅は以前、沼地に近い田んぼで作っていたものでした。足を取られるばかりで、ろくに米も採れない田んぼは、地元の不動産屋に訊いても、売れる見込みはまるでありませんでした。
そんなことを知ってか知らずか、菅どもはあんがい饒舌で、用無しの田んぼに生えている間もずっと、うたうようにその土地の伝承を語っておりました。
猪子(いのこ)と間違え日向(ひなた)の金蔵、蓑着たオババを撃ったとさ、
悔やんで悔やんで悔みきれぬ、観音堂を建てたとな、
百年ずっと、祀られて、
百一年目に、つぶされた
憐れや御堂、憐れや金蔵
撃たれた猪子も、浮かばれぬ
そんな声を刈り取り、じいさんはやがて歌声もかすれ気味になるまでよく干して、そいつらを束にしたまま納戸に閉じ込めておったのです。
囲炉裏端に出てきた菅は、まだ細い声でなにやら語っておりましたが、じいさんはかまわず、それらを切りそろえ、手なれた様子で笠に編んでいきました。
「伝統工芸、けっこう売れるらしいよ」
昔にそう言ったのは、それでも親には一番従順だった一郎でした。
一郎は一番遅くに家を出て、あんがい近くの町に住みつき、所帯をもったのでした。
孫も二人、いるらしいのですが顔を見せたこともなく、一度も帰ってきたことはありませんでした。年賀状の写真でしか、みたことがなかったのです。
写真ごしの長男坊も、その子どもらも、いつの年でも、まるで他人さまのように笑っているばかりでした。
じいさんは、黙々と笠を編みます。
ばあさんは、気づくと傍にはおりませんでした。
囲炉裏の上で干された鮎と編んでいる菅だけが、何やらか細い声で語っているのみでした。
細かい声を聞かぬようにして、じいさんは笠を編み続けました。