小説

『粗忽なガーヤ』佐藤邦彦(『粗忽長屋』)

 「えっ⁉そうしますってえと、向こうのあっしが火星ツアーを楽しんだ記憶もあっしのものとなるんで?」
 「なにを云っておるのじゃ。熊五郎に記憶を流し込んだら、お前は消去されるのじゃ」
 「なんですって!!」
 熊五郎´仰天致します。
 「そうしないと、次の脳を複写できんじゃろうが」
 「そんな馬鹿な!それじゃ、あっしは死んじまうってことじゃないですかい!」
 「意識を消去されるだけじゃ。そもそもお前は生命じゃないのだから、死や生などというものはないのじゃ」
 「意識や自我があるってことは生命じゃないんですかい!博士の人殺しぃ~。熊五郎の人殺しい~。あっしはあっしに殺されるぅ~」
 「ええい。やかましい。そんなに自我が消滅するのが嫌なら、熊五郎に頼んでこのヒューマンメモリーを買い取ってもらえばよい。で、金額じゃが……」
 博士が金額を告げます。
 「たっ高い!あっしはあっしだから、あっしのことはよ~く分かりやすが、あっしは、あっしの為に、絶対にそんな大金は払いません!あっしがいうんだから間違いないんで」
 「ならばあきらめい」
 と、その時、こんちわーと熊五郎の声。どうやら帰ってきた様で御座います。
 「おっ帰ってきおったな」
 「あっ、あっしだ。あっしよ来るな!あっしが来るとあっしが逝かなきゃいけねえ!」
 「博士。どうもありがとう御座います。お蔭で火星ツアー堪能してまいりました。これ、土産のウェルズ饅頭でさあ」
 熊五郎にこにこしながら博士に土産を手渡すので御座います。
 「おお。すまんの、で、早速じゃが、そのソファに横になるが良い。この20日間の記憶を流し込んでやろう」
 「やめろ!やめやがれ!あっしよ、やめてくれ。こりゃ自殺の一種だぜ!」
 熊五郎´叫びますってえと。
 「うるさいの。それ、ポチッと」
 博士が手に持っていたスイッチのボタンを一つ押しますってえと熊五郎´がくんと崩れ落ち動きません。
 「さて、では始めるぞ」
 博士、熊五郎´をもうひとつのソファに運んで横にしますってえと、熊五郎と熊五郎´に例のヘルメットを被せます。
「お願いしやす」
 熊五郎が云いますと。
「うむ。ポチッと」
 博士が手に持っているスイッチのボタン、さっきとは違うボタンを押します。と、意識がスーッと遠のきます。

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