小説

『ハイクラッシュデイズ』マオドダマル(『奥の細道』)

 さっきの夢は何だったのだろう。夢の中で起きたような覚束ない感覚でリクミは考えた。気づかなかったが、音量2でテレビが点いている。四角い箱は変わり映えのない紙芝居のように、いつもの芸人が身振りは大きく何かを訴えるが、ひそひそ声にしかならない。リクミは寝汗で冷え冷えとする体を震わせながら、薄目を開けて、芝居の意味を読み解こうとした。相方を椅子に座らせて立ち去ろうとするが、出口へ向かうと相方が立ち上がって付いてくる。それに驚いて連れ戻し、椅子に座らせまた出ようとするが、同じことが起きる。警察コントだろうか。わずかな音だと何を言いたいとか分からない。毎回、驚く顔が大げさに歪んでいて、そこが笑えるのだろうか。音量を上げても笑えなかったら申し訳ないと思って視線を外した。
 リクミは重い体を転がして布団から出ると、匍匐前進でトイレへ向かった。細長い廊下は冷え冷えとして気持ちがよかった。ずずずと鼻水をすすって、台所に近づくと、中に誰かがいる気配がする。また、ずずっと鼻水をすすると、今まで気づかなかった匂いにも気づいた。すると気配が動いて、柱の陰からひょこっと顔が出てきた。元ダンだった。
 「よう」いかりや長介みたいなチョップを中空に放って言う。
 「え、あれ」リクミは間抜けた調子のガラガラ声しか出せなかった。
 「いま中東風オリジナルのリゾット作ってるから、待ってろ」
 「はぁ」
 「病人食じゃないぞ。ガツンとスパイス利いてるからな。風邪なんか一発だ」
 「あたし風邪なの?」
 突かれた二枚貝よろしく柱の奥に顔が引っ込んでしまった。
 細切れのパプリカが鮮やかなリゾットは焦げ目が絶妙なアクセントで、なかなか美味しかった。ただ、元ダンがこんな料理上手だったとは知らず、なぜか涙腺もうるうるきて、滂沱の鼻水も混じり、最後はなんだかよくわからない味になりながら、ジャビジャビ口の中にスプーンで掻き込むはめになった。
 「俺、なんでここ来たか、わかる?」
 「わひゃらはい」皿を傾けて削ったおこげごと大口に流し込みながら答えた。
 「うん、アユムに呼ばれたんだよ」
 「ほへ」
 「なのに、来たらいないしさ。おまえは死んでるしさ」
 「いや死んでない死んでない」
 「みたいなもんだろ」
 「水泳行ったのかなぁ。クラブ活動じゃない」まさか、春休みの間とはいえ、家出のようなことをしているとは言えなかった。
 「俺にはわかんないよ。おまえ達の問題だろ」
 元ダンがテレビの音量を上げる。画面では別の芸人たちがカタカタと動き出した。リクミは重苦しく、それは自分たちの心象風景に映る影絵だと感じていた。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10