小説

『インドの観覧車』緋川小夏(『赤い靴』)

「それ、人が乗っても大丈夫なの? 動いている途中で壊れたりしない?」
「大丈夫だよ。見た目は、かなり危なっかしいけどね」
 矢継ぎ早に浴びせられるわたしからの質問に、目を細めながら答える。亮悟は若い頃、バックパッカーでインドを旅していた。きっと今、わたしからの質問を介して、懐かしい旅の日々を思い出しているのだろう。
「観覧車の軸に人が入って、人力で回すんだ。テコの原理で」
「でも危険じゃない?」
「まぁね。命綱もネットもないから、動かすほうも乗るほうも命がけかもね」
 亮悟の柔らかな声が、欠損だらけのわたしの心に次々と落ちてくる。そしてテトリスみたいにぴたりとハマって修復してくれる。そのたびに、とても沁みる。
「インドの田舎町では娯楽が極端に少ないからさ。子ども達は皆、遊園地が巡回してくるのを、とても楽しみに待っているんだよ」
「ふうん……」
「しかも、それらの遊具や設備はすべて、錆びた極彩色で彩られているんだよ……ほら小麦、目を閉じて想像してごらん」
 わたしは言われた通りに目を瞑り、異国の田舎町に存在する楽園を夢想する。懐かしいあの酩酊感を思い出して、全身が甘く痺れた。
「わたし小学生の頃、いじめられていたんだ」
 ふいに亮悟の表情が曇る。
「最初は無視から始まったんだよね。理由なんてわからない。そして学年が上がるごとにエスカレートしていってね。ノートを池に捨てられたり、体操服を汚されたり、机に『死ね』って落書きされたりした。酷いときなんか、二階の教室の窓から唾を落とされたこともあった。みんな、わたしをいじめているときは本当に楽しそうだった。目が活き活きと輝いていたもの」
 亮悟は少しかなしそうな顔で頷いた。きっと、当時のわたしの痛みを手繰り寄せているのだろう。そうすることで、わたしの辛さをもっと深いところで受け止めようとしている。
「そんなときはいつも遊園地に逃げ込んでいたの。もちろん本物の遊園地じゃなくて、わたしの頭の中にある脳内遊園地。とりあえずそこに逃げ込めば、泣いたり、深く傷ついたりせずに、自分を守ることができたから」
大きな手のひらが、わたしの頭をやさしく撫でた。亮悟の体温が頭のてっぺんからゆっくりと全身に行きわたる。
「いつか小麦をインドの観覧車に乗せてあげる」
 ほんの少しだけ開けた窓の隙間から雨の気配が忍び込んでくる。わたしはレースの薄いカーテンだけ閉めて、寝転ぶ亮悟の体の上に覆い被さった。指先で髪を掻き分けて耳の後ろに唇をつける。亮悟の首筋からは、わたしとは違う匂いがした。

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