朝は当番になっていたが、リクミのモーニングコールが“効く”ことが判明して以来、勤務時間を朝よりに30分ずらしてもらい、今ではリクミの専門職のようになっている。自分の特殊な才能が見つけられた気分もあったし、職場に居場所があるのはわるくない。それに、悩みを抱えている生徒を励ますことが、リクミの遣り甲斐になっていた。
「おはよう。具合はどう」
何度目かの呼び出しで生馬の辛そうな声が響いた。
「ああ、ミーモン。一限目はパス」リクミはなぜかそう呼ばれている。
「体調わるい?」
「うん、ちょっとね」
「じゃあ、自習用のプリント用意しておくね」
「なるべく早く行くよ。お腹が本調子じゃないからさ」
「無理しないで。病院いく?」
「そこまでじゃない」
「OK」
「すこし遅れるだけだから」
「わかったよ。待ってるからね」
「うん、ありがと。じゃあね」
生徒も大変なのだ。大学に行かなかったリクミには、気持ちを推し量るしかないが、辛さや痛さはよくわかる。追い込んだりせずに、すこしだけ誘ってあげる。それがリクミの接し方でありスタイルだ。こういうふうにアユムとも焦らずに関係を築いていけばいいのかもしれないけれど、家庭のことではいつも後ろ向きな思いが湧いてくる。ビルの入り口の前を行き来するサラリーマンをぼんやりリクミは眺める。そろそろ一限目の講師が出勤してくるだろう。リクミは使用教室を確認すると、電気をつけた。
「おはよう」
入り口のほうから牧野さんの声が聞こえて、リクミは使用済みのマーカー箱を持って出迎えた。
「生馬くん、今日も遅れるみたいです」
「ふーん、受験近いからね」
「しょうがないですね」
「しょうがない」
「ねえ、話変わるけど、来週3日ほど休むつもりだけど、任せちゃっていい?」
「え、突然どうしたんですか」
「うん、祖母の具合がわるいの」
「福岡に住んでいるんですよね?」以前に話していたのを思い出しながら訊いた。弟夫婦が面倒を見ているらしい。
牧野は机の上を拭きながら言った。
「最期の挨拶になるかもしれないから」