爺が老眼鏡を外して、遠い目になっている。いつもながら仕草がわざとらしい。でもなんとなく、わかる。なんとなく、でいいんじゃないか、幽霊なんだから。全部わかろうとしてこんがらがってしまっていた自分を笑いたい気分でリクミは考えた。それから、突然、亡くなった母のことが思い出される。若い頃は前衛芸術家だったという母。酔って駐車場のチェーンに絡まっていたサラリーマンの父に、母はラッカースプレーで複雑な模様を描き出したらしい。初めは「おい、オマエ、ふざけるな!」と怒り狂っていた父も、最後には笑い出し、それが馴れ初めで結婚してリクミは生まれた。まともでいようったってそうはいかない、そんな性が受け継がれているんだから、アユムはどこでなにをしようと自分の息子だと、初めて自信の沸く気持ちになれた。母は昔、売れないコメディアンの彼氏がいたと言っていた。もしかしたら、この爺がその人かもしれない。夕張メロン味のシャーベットを頬張りながら、牧野さんは帰ってこないかもと思い、ついでに生馬くんは今年も来年も不合格だろうと思った。どうしてそう思ってはいけないのだろうか。
「ま、それはいいとして、岸先生がね、守りに入らないことの大切さを説かれているんだよ。奨励会の隠し玉として身につまされましたなぁ。将棋と俳句、異母兄弟を見つけたような気分ですよ」
「ってことは、俳句をやれば将棋も強くなるとか?」
「ん、まぁ、それはまったく別物じゃないですかねえ。母がちがうわけですから」
「はぁ」
慌てたように、老眼鏡をかけて、眉間にシワを寄せた。
「しかし、やってみてもいいでしょうね。NHKの俳句サイトから二句送ってみましたが、手軽なもんですなぁ。一句はそんな状況を詠んでみました」
蝉の声デジタル変換IT爺
おそるおそる「あの、そんなので入選するんですか」
「凝った句は肩も凝る。あくまで、わたしは一茶ですからね、芭蕉なんですよ」でた。
「で、もう一句は」「聞きたいか」いや、そんなに聞きたいわけでもない。ただ、IT爺では胃もたれムカつきがひどい。爺が咳払いして、いい声をだしかけ、
「ところで、その破れかけの着衣はなんですな」
「これ?いいでしょ。アユムと元ダンとショッピングしたの。ハイクラっていうの」
「俳句クラブ?」
「爺にはわかんないよ。デニムの種類」
「されば、ちなんだ句にしましょうか」
「お願いします」
新風に駒の歩みやバトンタッチ‼
ああ、季語がない、季語がない。