小説

『桃太郎と桃子』斉藤高哉【「20」にまつわる物語】(『桃太郎』)

「乗れるのか?」
「乗るつもりで直したからな」
 それもそうだ。わたしは桃太郎の手を借りながら、おっかなびっくり左の爪先から乗り込んでみた。
「おお……」乗り込んでみると、当たり前だけどちゃんとボートなのだった。チャプチャプと水が船体に当たる音が、水面との近さを感じさせる。これで本当に海を渡ることも出来るのだ。「すごいじゃん」
「ちょっと一泳ぎしてみよう」まるで自分で泳ぐみたいに言ってから、桃太郎も乗り込んできた。
 大きく揺れた船体は、二人とも腰を下ろすと安定した。桃太郎が船底に転がっていたオールを手に取り、川面に入れた。
「漕いだことあるの?」
「ない。初めて」桃太郎はオールを動かし始める。動きがぎこちない。「でも動画で勉強したから」
 見るとやるとでは違うらしく、船は直角に向きを変えただけだった。もう一漕ぎすると、初めと逆を向いた。このまま一回転するかと思いきや、次の一漕ぎでは九十度元に戻った。
「なかなか先は長いね」
「でもまあ、川は流れてるものだしな。海に出れば海流がある」
「流されて変なとこ行くかもよ?」
「そうかもな」
「他人事かよ」
 ふと、今日の桃太郎はスウェットの中に手を入れていないことに気が付いた。どこも掻いていない。そういえば最近、彼がどこかをボリボリ掻くのを見ていない気がする。いつからだろう?
「どこでもいいんだ」桃太郎は言った。「どこかに着けば、それでいい」
 そんなものか。そんなものか?
 景色を眺めながら、水の音に耳を澄ます。オールの動きは、さっきよりはリズミカルになってきた気がする。
「あ、やばい」オールが止まった。「浸水してきた」
 見ると、たしかに船底に水が溜まっている。しかも中心にはゴボゴボと気泡が湧いている。状況は刻一刻と悪化していた。
「おいおい」
「やっぱり二人は厳しかったかあ」
「おい」
 それからどうにか川岸に辿り着いた。わたしは靴下を濡らすことになったけど。

   19日目

「明日出ることにしたから」
 仕事から帰り、買ってきた野菜などを冷蔵庫に入れていたら、そんなことを言われた。あまりに何でもないような言い方だったので、つい「ふーん」と聞き流してしまった。
 冷蔵庫の戸を閉めてから、ようやく本当の意味が身体に染み渡ってきた。

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