ちょうど俺と息子の真向かいにあたる場所にその人は浅く腰掛けた。
姿勢をぐっと前かがみにさせて、膝の上の両手でアゴを支えたまま彼は車両の床をじっと見ていた。
電車の座席に腰掛けるその形からしてもうその時すでに、その人にはひとつの世界が出来上がっていたのかもしれない。
なんとなく予感はしていたのだけれど、彼はその恰好のまま、ふしぎな音を放った。ハミングでも鼻歌でもない。なんだろうふたつを混ぜ合わせたようなそうホーミーっぽい音だった。
西日がまぶしい時間帯だったので、その人の姿は俺たちの乗っている場所からハレーションを起こしたみたいに、ちらちらと光の中にしか見えなかった。
その人の口元からこぼれる、ふいをつかれてさびしくなってしまうようなメロディが、揺れている車内いっぱいに響き渡った。
あ、こういうのを物悲しいって言うんだったなって、いま初めてその形容詞を知った人のように、耳のなかににじんでゆく。
一駅分、彼はふしぎなメロディを奏でると、次の駅で降りていった。
なんだかさっきまで聞いていた彼の言葉のような音が、その車両だけにいつまでも残響している錯覚におそわれた。
俺はその人のメロディに聞き入ってしまって、Tの様子を観察するのを忘れていた。
そっと息子の顔を覗くと、その人が去ってゆく背中ばかりを目で追っていた。
ホットミルクを飲み干して口の端に白い泡をつけて満足そうにほほえむときと同じ目をしていた。
Tはうれしそうだった。
車内に喧騒がふたたびもどってゆく。
音の階段をのぼったりおりたりしながら、その人の世界は少しずつ形作られていくのかもしれないと思った。
世界という言葉の使い方がいまひとつよくわからないけれど、あの人はからだの外側の輪郭から世界じみたものがはみだしているようなそんな人だった。
あの人のことを、Tは思い出したのかもしれない。
Tは喉を鳴らしたりしながら部屋にふしぎなメロディを放った。
あの午後の車内でのことはたぶんTのなかで、くっきりとした記憶として残っているのだ、たぶん。聞いたことはないけれど、息子は自分が霧島太一郎であることをもうとっくに忘れているかもしれない。それでもあの電車での思いがけない出来事は憶えているのだ。それでいい。
起承転結のことを思う。きしょうてんけつ。
きしょうてんけつのないせかいにあこがれる。たぶん、いまじぶんが、ここにいることは、きしょうてんぐらいのところなのだろうけど、物事が順番に進んでゆくことに軽い抵抗を覚える。いつだって、ランダムがいいなってどこかで思っているところが若い頃からあったのかもしれない。そんなことに思いを馳せるようになったのは、きっとTの記憶と向き合うようになってからかもしれない。