小説

『Golden Egg』室市雅則(『金の斧』)

男に呼び止められた女神が振り返ると、男は地面に両膝をつけた。
「女神様。どうかこの妻を生き返らせて貰えませんでしょうか?」
女神は微笑んだ。
「死んだらお終いです」
「代わりに俺の命を差し上げます」
男が自分の胸ぐらを掴むと女神はやはり微笑んだ。
「いりません。それはあなたの命でしょ?他の誰にも代えられません。もちろん他の人も同じですよ。人は人。勘違いしないで下さいね」
「なら、殺して下さい」
男は額を地面に擦り付けた。
「顔を上げて下さい」
男は動かない。
「ほら、顔を上げて」
それでも頑として男は頭を下げたままでいる。
女神が息を小さく吸う男が聞こえ、それが止まった。
「上げろ」
怒気を含んだ女神の小声が響き、恐る恐る男は頭を上げた。
女神は金と銀の卵を指差してやはり微笑んだ。
「この二つ、どうぞ。頑張って下さい。それじゃあ」
男を見たまま女神は水中へと帰った

男と妻の遺体と金と銀の卵が残った。
「ずぶ濡れにしちまったな。許してくれ」
男は膝で歩いて妻の遺体に近付くと抱き上げて、その長い髪を撫でた。
髪が男の指先に絡みつき、ずるりと全てが妻の頭から抜け落ちた。
それがきっかけだったかのように、スポンジのように妻の毛穴という毛穴から泡が立ち、全身を包んだ。
男が事態を把握する時間も与えないほんのわずかな僅かな時間であった。
小さな泡が隣の小さな泡とくっつき、それを繰り返し、一つの大きな泡が遺体と男は包み込んだ。
そして、破裂した。
びしょ濡れになった男と二つの卵だけが残った。
斧を失った嘘つきの木こりと同じように男は声を出して泣いた。
――余計なことさえ考えなければ…。妻の亡骸さえも失ってしまった。

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