小説

『Golden Egg』室市雅則(『金の斧』)

立った泡が次第に小さくなり、ついに水面は動かなくなった。
一面を静寂が包んだ。
それを打ち破るように泣き声が響いた。
泉のほとりで嘘をついた木こりは自分の斧を失い泣き始めた。
人目が無いのを良いことにその木こりは熊のような髭面でおいおいと声を出して泣いた。
しかし、密かな人目はあった。
木の陰から別の木こりがそれを見ていた。
泣く姿だけではなく、己の鉄の斧を放り投げ、女神が金と銀の斧を持って現れ、選択を迫り、結句、失うところまで全てを目撃していた。
狭い町なので、数日前にその噂は聞いていた。
――木こりが金と銀の斧を手に入れた。
その後、その男がどうなったかは知れぬがきっと商売繁盛で幸せにやっているだろう。
その時は、単純に自分もあやかりたいと思った。
だが、そんな奇跡のような泉があるわけが無く、決して楽では無い木こりという商売に夢を抱かせ、仕事を放擲させないための風聞だと思った。
――本当に楽ではなかった。
重たい斧を担ぎ、うだるような夏でも凍えるような冬でも山に分け入らねばならない。
急斜面で滑落しかけることもあれば、熊と遭遇することもある命がけの生業であった。
その割に、手にする金は決して満足いくものではなかったが、他に何が出来る訳では無いし、家には愛する妻がいるから、ここまで踏ん張れていた。
そう「踏ん張れていた」と過去の出来事なのだ。
つまり、今は踏ん張れていない。

男は昨日、長年寄り添った妻を失った。
苦しいながらも唯一の明かりをくれた妻が他界し、文字通り真っ暗になった。
子宝には恵まれなかったが幸せだった。
そして、もともと病弱な妻であったがお互いに四十を迎えられたことをついこの前、喜んだばかりであった。
だが、逝ってしまった。
もう生きる意味がなくなった。
もしあの世があるのなら、俺もすぐに行きたい。天国で待っていてくれているはずだ。だから、すぐに後を追おうと決めた。

男は妻の亡骸を背負って森に向かった。

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