小説

『魂齢を量る階段』小原友紀(『お階段めぐり』)

「しかも『幼児の姿を認めて、凶行を思い留まった』とさ。俺の幼少期の不遇と結び付けて、世間は勝手に同情した。裁判でさえ世情を慮ったほどさ」
 十年前、晩秋の夜長の只中、押し入った豪邸で、男は、亭主と執事と下働きに取り押さえられた。新聞屋の執拗な聞き込みか、連続強盗犯の来歴が虚実を混ぜて大々的に紙面を飾った。当初、厳罰に処せんと息巻いていた富豪は、世間の風向きが変わるや、新たな証言を加えた。幼い息子の姿を認めた瞬間、強盗は息を呑み、小刀(ナイフ)をかざしていた右手を下ろした。その隙が反撃の転機になった、と。
「俺が目を奪われたのは、子供(ガキ)じゃない。そいつが両腕に抱えていたものだ」
 五、六歳の男児が抱き上げしがみついていたのは、白い体に黒斑の毛を散らした、小さな兎だった。
認識と記憶の交錯――数十年前、生家のあばら屋に、一匹の仔兎が迷い込んできた。男の母親は、追い払いもしなければ、糊口をしのぐ糧として捌こうともしなかった。弱っていた兎を優しく抱き上げ、泣いてむずかる息子に与えた。幼かった男は、片時も傍から離さず、弟のように可愛がっていた。
「目の前の兎が、そいつと瓜二つで、目を疑っちまった。ちょっと考えりゃ、何十年も前に逃げた兎が生きているはずもないってのに」
 五年後、母を失っていくらも経たないうちに、兎は行方知れずになった。父親は兎を探してやると言い残して、自分も消えた。
「曲がりなりにも世間を騒がせた盗賊が、ちっぽけな兎に気を取られて、呆気なく捕縛――我ながら間抜けな顛末だ。格好の物笑いの種さ。金持ち夫婦の甘ったるい勘違いを認めてやれば、まだしも格好が付くだろうよ」
 山と谷を織り成す終わりない階段を前に、記憶の断片が一枚絵を描き出す。
 あの夜、真正面から揉み合っていれば、取り押さえようとする邪魔者に、勢いナイフを突き立てていたかもしれない。両の手を血に染めれば、箍(たが)は簡単に外れ、さらなる凶行を自ら招き、血で血を洗う命のやり取りを繰り返し――底の見えない暗い深い淵に、己が身を投げ入れるまでに堕ちていただろう。法と正義の名の下、世に蔓延る鬱憤(うっぷん)をはらんだ怒りを一心に受け、絞首台に立たされ、人生に蹴りを付けさせられただろう。実際の判決と待遇――獄中で飼い殺された挙句の病死――よりも、死してなお魂を貶め、自らの苦悩を受け取り続ける破目に陥ったに違いない。
「その魂の在りのままを見つめ、受け入れるが良い。現(うつつ)を知るは足掛かり、未だ見ぬ先を捉えんと踏み出す、新たな一歩となろう――」
 男は、己の意識を研ぎ澄ませ、籠(こ)もる熱と力をとらえようとする。
 乱高下は階段だけではない。男自身も、四肢が伸び縮みしている。

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