小説

『あめゆき』緋川小夏(『雪女』)

 重厚な木の扉を開けると、純白のドレスに身を包んだ娘が緊張した面持ちで立っていた。
「あ、お父さん。ドレス……どうかな?」
「おめでとう、小雪。とてもよく似合っているよ」
「本当に? 良かった」
 わたしの言葉に安堵したのか、ヴェールを指先で軽く押さえながら淡く笑う。そんな娘の何気ない表情がビックリするくらい知り合った頃の妻に似ていて、ふいに目頭が熱くなった。
 妻は娘の小雪が小学二年生のときに他界した。それ以来わたしと小雪は、二人で寄り添い励まし合いながら生きてきた。
 まだ幼い一人娘を残して旅立たなければならなかった妻の胸中は、察するに余りある。きっと、さぞかし無念だったに違いない。それを想うと今更ながら胸が締めつけられる。
 そしてわたしには今も娘に隠し続けている、ある秘密があった。

 妻と出会ったのは今から三十年前、わたしが大学生の頃だった。
 山岳部の冬山登山で雪崩に遭い、部員の中でわたしだけが谷底に滑落してしまった。幸い大きなケガはなかったけれど、右足をくじいてしまい歩くたびに鈍い痛みが走った。
 当時はまだ携帯電話も普及しておらず、仲間と連絡を取ることができない。ルートをはずれて無駄に動き回るのは非常に危険だ。わたしは自力で雪風を凌げる場所を探して、一晩そこでビバークすることにした。
 日が暮れると気温は一気に下降した。リュックの中には水筒とチョコレートが入っていた。わたしはチョコレートをゆっくり口の中で溶かしながら、夜が明けるのを待った。
 チョコレートを食べてしまうと、後はひたすら寒さと眠気との闘いだった。眠ったら駄目だ。でも体を休めて少しでも体力を温存しておかないと、ここから脱出できなくなってしまう。わたしは祈るような気持で自分を励まし続けた。
 寒さで体が小刻みに震える。眠い。でも寒い。歯の根が合わずにカチカチと音をたてた。
 そのとき穴の外から冷たい風がびゅうぅぅと勢いよく吹き込んできた。それまで穏やかだった天候が急変し、いつしか外は吹雪になっていた。
 このまま朝まで雪が降り続いたら、ルートに戻るのが更に困難になる。わたしは忍び寄る死の気配の輪郭をはっきりと感じて、思わず身震いした。
「あのぅ……もしもし……誰か……そこに誰かいるの?」

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