「誰もが、人と関わることで成長します。あなたには何も考えてないように映るのかもしれませんが、皆それぞれ悩みや苦しみを抱えて生きているんです。そういう風に斜に構えるではなく、相手を受け入れてから判断してみたらいいんじゃないですか?」
高校一年の二者面談で先生にこんなことを言われた。「いじめられていたから人を信じられなくなっているんですね、ここで先生として一言言ってあげよう」、そんな自分を良い教師と信じて疑ってないことが態度に表れていて腹が立ったので「その言い方だと、先生は僕のことを周りと比べて下に見ているみたいですね。それなら、先生みたいな人間に僕はなりたくないので、助言は聞かないようにします」と表情を変えずに淡々と言った。先生は顔を真っ赤にして怒鳴ってきたが、無視して退室をした。そのあと家に電話がかかってきたようだったが、僕となるべく会話をしたくない母親は何も言わずに黙っていた。
なぜ、僕は顔が醜いというだけで、人から疎まれ、蔑まれ、無視され、笑われなければならないのだろうか。そんなことをいったい何度考えただろう。いくら考えてみても答えはでなかった。また、誰もその答えを持っていなかった。持っていたとしても、誰も教えてくれなかった。
だから僕は恨んだ。何もかも嫌うことにした。影で僕のことを笑う人々を見下した。
でも、孤独だった。いくら恨んでも、僕が正しいと思っても、孤独が僕を離してくれなかった。
人はたくさん存在しているはずなのに。それなのに、僕の周りには誰もいなかった。
鬱々とした気持ちを常に引きずりながら毎日を生きていた。
そんな高校二年生の冬休みに、僕は初めて人に純粋な好感を抱いた。
近隣の幾つかの学校の代表者が、「良い学校とは」というテーマのもとで話し合うという催しがあり、成績が優秀だった僕はその代表者の一人に選ばれた。そのイベントへの参加はかなり憂鬱だったが、いざ参加してみると案外面白いものだった。代表者になるくらいなので、それぞれの学校の中で品行方正な生徒が選りすぐられており、僕に何かを感じていても、それをうまく隠して討論を続けていて、みんなが僕の意見に真剣に耳を傾けてくれた。
その中でも、ある一人の女生徒に僕は惹かれていた。いや、後から惹かれていたのに気づいたと言った方が正しいかもしれない。いずれにせよ、その時生まれた感情は、初めて僕に訪れたものだった。
「僕は、先生の雑談ほど貴重な時間はないと思うんだ。授業中は授業に関係あることをやってくれと思う人もいるだろうけど、英語の時間にカントについて語ったり、歴史の授業で事件の裏話をしたり、先生は生徒の思考の端緒になることを提供することが必要なんだよ」
「確かにそうよね。道徳や哲学、映画や芸術、そういったことについて教えないなら、先生は人工知能でよかったり、授業自体がオンデマンドになったり、別に生身の人間である必要はなくなるからね。あるいは、人はあえてそういう道に進んでいるのかもしれないけど」
僕の顔を何の含みもなく見つめながら、話を聞いて、それに対する自分の考察を述べる。顔を、ただの象徴として扱っていた。醜い顔と僕がイコールではなく。僕と討論をしていたその女性には、僕が醜かったり、自分が綺麗だったり、そういうことはどうでも良くて、ひたすらその話し合いで、実のある楽しい会話をしたいだけだったのだ。僕を見る目は透き通っていた。その瞳は、僕の顔を通して何かもっと奥深くのものを見ているように感じた。気づけば僕は、討論の間、その目を追い続けていた。