小説

『醜い人』長谷川蛍(『みにくいアヒルの子 』)

 これを聞いても、不思議と怒りも、悲しみも、私の内側から湧き上がることはなかった。ただ、美沙が時折見せる複雑な表情を読み取ってあげることができなかったという事実は、私を苦しめ、後悔させた。何で気づいてあげられなかったのだろうか。ただ、たとえ気づいていたとしても、私には何もできなかっただろうという確信もあった。
 私は大学生になって、さらに孤独を深めていた。もしかしたらそれを孤独と呼ぶのは間違っているのかもしれない。一人であることに苦痛を感じているわけではなかったし、自ら誰かの隣に立とうとも思わなかった。男といることすら面倒になり、気づけばバイト以外で誰かと話すことがほとんどなくなっていた。バイトがなければ一言も発さずに一日を終えることも珍しくなくなっていた。
 何のために朝を迎え、何を期待して夜眠るのか。自分がいつの間にか透明になってしまったようだった。誰の目にも映ってないのではないか。誰かの目を通さずして、私は自分の存在を信じることができるのか。誰にも受け入れられないという苦しみと、それでも私が誰かに歩み寄ろうと思っていないという事実が交わって、いつまでも底の見えない沼に沈み続けているような、そんな気分だった。 。
 そんな時に、彼と再会した。
 彼とは高校二年の時に行われた、各学校の代表者が集まる討論会で一度話したことがあった。名前は覚えていなかったのだけど、なぜか私は彼のことがすぐにわかった。それはきっと、彼と交わした短い会話が原因だったのだと思う。
「生きているのって辛いじゃない?」
「うん、信じられないほど」
 言葉を出すこと自体が苦手のように、彼はずっとどもりながら話していた。
「それなのに、辛さを分け合ってくれる人がいなかったらもう地獄のよう。ねぇ、なんで誰も私を理解してくれないのかな?」
「僕は多くの人に理解されることが大事だと思わない。でも……」
 そこで、彼は私に向け笑顔を向けた。
 笑顔はぎこちなかった。生まれて初めてそうしたかのように。でも、私にはとても輝いて見えた。何かを振り払うように。何かを決心したかのように。その笑顔には混じり気がなかった。
「頑張っていればいつか自分を、自分そのものを受け入れて愛してくれる人が現れるんじゃないかなって思う。ううん、今、思ったんだ」
 他の会話を思い出すことはできない。なぜこんな会話をしたのかもよく覚えていない。多分、その前の討論の話題がきっかけだったのだとは思う。この短い会話だけがやけに私の頭の片隅に残っていた。部活もやめ、かといって受験勉強に身を入れるだけのモチベーションも見つからず、無為に毎日を送っていた中で、彼の言葉と、その時の表情がとても印象的だったのだ。彼が発した一言には、深い実感がこもっていた。

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