僕は醜かった。「人生において、最も重要なものはその人格であり見た目の良し悪しではない。人格によって人生が左右されるのだ」と言うには、僕の顔は醜すぎて、外見が日々の生活に影響を与えているのは明らかだった。目は、顔に付けられる時に物差しが壊れていたとしか言いようのないほど離れていたし、鼻は、鏡で眺めていたら、ぐしゃり、と潰れた音が聞こえてきそうなくらい汚く潰れていた。口は大きく横に伸びていて、唇は分厚く、一旦口を開けば、並びの悪いカルシウムの塊が勝手にその存在を唄い出す。頭はジャガイモのようにデコボコしていて、短く髪を切りそろえても、清潔感より、不恰好なその形が際立ってしまう。
そんな僕の唯一の自慢は、柔らかで、すぐ傷ついてしまいそうな繊細な耳だった。柔らかいだけではなくて形も良い。大きすぎず小さすぎず、尖りすぎず丸すぎず。生まれる前に行われたくじ引きで、耳だけは当たりを引いたようだった。
しかし耳がどれほど美しかろうと、耳で稼ぐ好感を大きく上回る醜さが、僕の顔には密集していた。要するに、僕は醜かったのだ。
昔の写真を見ると、僕が歳をとっていくのと比例するように、僕の醜さは徐々に顕在化していくようだった。自分と周りを比較することで物事を把握し、他者の感情や思考などをある程度予測できはじめる頃に僕の顔は完成を迎えた。まるで神様が、親に僕を殺させないため、物心着くまでは愛せるように僕の成長を意図的に遅らせたみたいだった。この醜さが世界に存在しなければならない。そう考えることで、僕はどれほど辛くても死から距離をとって踏ん張ることができていた。
両親の名誉のために言っておくと、父も母も醜いどころか、人から羨まれるくらい容姿が整っていた。あまりに両親と似ていないので、一昔前だったら、僕は祟りだとか忌み子だとか言われて大騒ぎになり、殺されていたかもしれない。二つ下の妹がいるのだが、妹は両親の血をしっかり受け継いでいた。
そんな僕の異常性から、違う男性と作った子ではないかと父が母を咎めていたが、母は「わざわざそんな気持ち悪い人と関係を持つわけないじゃない。バカじゃないの」と反論し、父も納得していたのは傑作だった。
当然、両親は妹に精一杯の愛情を注ぎ、僕は嫌われた。それはどこに行っても変わらず、学校でも、僕に話しかける人は自分より下の人間を見て優越感に浸る人か、僕に話しかけることで自分を平等で正しい人間だと思い込みたい人だけだった。
小学校の高学年になって、周りの同級生たちは精神的ないじめが人を傷つけるのに最も適していると気付きはじめた。ある日学校に行くと、黒板の日直の名前が書かれている所に「中野醜人」と書かれているのを見つけた。その日は僕が日直だったので、それは僕の名前のはずだった。しかし、僕は「中野修人」という漢字をいつも使っていたし、漢字自体がそこまで得意ではなかったので、その文字の意味や読み方はわからなかったが、なんとなく嫌な感じが、その字の形から醸し出ていた。