名前を書き直すべきか否かを迷って、教室の入り口で黒板を眺めていると、クラスの中心人物で体格の良かった「大地」という男の子が歩いてきて、「しゅうじーん」と僕に声をかけた。教室にいた大地と仲の良い数人の男女が、純粋ゆえに、均質で、一貫した悪意のある笑みを浮かべているのが目に入った。
「知ってるか? その漢字、みにくいって読むほかにしゅうって読むらしいぜ」
僕は何も言わずに大地の顔を見つめていた。別に大地に対して何かを思ったわけではなかった。僕はその漢字の持つ「みにくい」という意味よりも、その漢字をわざわざ調べてきた大地に驚いていたのだ。「僕はやっと自分の名前を漢字で書けるようになったくらいなのに、大地はこんなに難しい漢字を知っているのだ」と感心さえしていた。
そんな僕の様子を自分のことを無視しているのだと勘違いしたようで、大地は続けて「しかも囚人とかけてあるんだ。すごくね?」と自慢げに言ってきた。僕は大地が何を言っているのかわからず、大地の体格の割に小さな額を見つめながら、顔を赤くし、瞳が潤んでいった。小さい頃、誰かが言っていることを理解できない時は、全て自分の想像力のなさのせいだと僕は思い込んでいたのだ。僕はもごもごと何かを言葉のようなものを発しようとして、それが意味のない行為だということを悟り、頬を染めてうつむいたまま自分の名前を書き直して席に着いた。それからしばらくは、僕のあだ名は「しゅうじん」だった。
一度、先生がクラス全体を注意した時があった。しかし注意しながら、その「しゅうじん」の意味を聞いた先生がほんの一瞬頬を緩めたのを僕は見逃さなかった。先生は「先生」ではなく、お父さんとお母さんと変わらないただの人間なんだと、僕は小学生にしてそんなことを考えていた。
中学、高校と進んでも、周りの状況はたいして変わらなかった。暴力を振るったり、直接的な危害を加えるというより、小学校の頃と同じように、いじめは言葉によるものが大半で、陰で悪口を言われたり、笑いのタネにされたりすることばかりだった。
しかし、高校生になった頃には、僕はいくらいじめられても屈辱に震えたりすることなく、むしろ周りを見下して毎日を過ごしていた。というより、そうすることでしか僕は日々を生きていくことができなかった。
外見で判断して僕を貶め、そうすることでしか自分を評価し、自我を保つことができない。彼らはなんて哀れなんだろうか。誰も彼もが中身の薄い、ただの「人」にしか見えなかった。僕を理解できる人はどこにもいないのだ。一人で生きていくしかない。そう考えていた僕には友達がほとんどできなかった。運動も得意ではなかったので(それが僕の孤独を加速させたのは容易に想像できるだろう)本ばかり読んでいた。
また、僕は色恋沙汰にも全く縁がなかった。誰かに好意を持たれたことがないだけでなく、僕自身も誰かに慕情を抱くことがなかったのだ。誰かのことを綺麗だと感じて目で追っていても、その女性がふわふわと軽く、それなのに耳にまとわりつく声を発しながら笑みを浮かべるのを見て、あっという間に恋の面影は去っていくのだった。一貫性のないその仮面を剥ぎ取ったら、皆一様に能面のような顔をしているに違いないのに、何で意味もなく笑うのか何一つ理解できなかった。