一人残されて、私はむしろ喜んだ。口うるさい母から解放され、帰りは電車の一人旅だ。大冒険だ。
休みを満喫し、文字通りスキップしながら帰った私を迎えてくれたのは、「お母さんはもう帰ってこない」という父の言葉だった。
父は多くを語らなかったが、近所の人の噂から、母が男と駆け落ちしたことを知った。父は母の行方を探そうともせず、その事実を受け止めた。今思うと立派だったのかも知れない。しかし、当時の私には理解できないことだった。
もともと父は無口で、何を考えているのかよく分からないところはあった。思春期になるとそんな父に反発を感じて、いつもけんかを売っていた。しかし、一度も買われたことがなかった。それが一層いらだたしく、家を飛び出したというわけだ。
(私の恨みが見せた夢か……)
その夜はもう眠ることができず、朝まで風鈴の音を聞いていた。
寝不足のせいで、あくびばかり出る。何とか午前中は片付けに専念したが、昼食を食べると瞼が落ちてきた。
ちょっとだけのつもりで、横になる。
「あなた、どうして、ここに」
母が叫んでいる。
「お前達の企みぐらい、気づかないと思っていたのか」
父が怒っている。
「やめてー」
母の叫び。襖が破れて倒れる。ガラスの割れる音。ぐわっといううめき声。父の荒い息。母のすすり泣き。事切れる響き。そして、それら全てを打ち消そうとするような、嵐の音。
全身ががくんと痙攣し、飛び起きた。
そうだ、盆明けに台風が来た。直撃だった。これは、あの夜起こったことだというのか?
汗ばんだ頬を、風がひとなでする。風鈴が応える。
背筋を伝う汗が、体温を奪う。
風鈴を見上げる。
まさか、……。けれど、……。
妻が言ったじゃないか。
「すごく卑猥な夢をみたの」
私も見た、同じ夢だったのでは?
あの夏、風鈴は、ずっとここにあった。