小説

『舌(ZETSU)』不動坊多喜(『王様の耳はロバの耳』)

「すごく卑猥な夢を見たの。欲求不満かしら」
「じゃあ、一緒に泊まるか。一晩ぐらい大丈夫だろう」
「駄目よ。陽菜も陸も、見張ってないと遊ぶから」
 陽菜は中三、陸は小六。ダブル受験で、妻が一番大変そうだ。
 予定通り彼女は帰り、私は一人、畳に布団を敷いた。
 クーラーが無いため、縁側を開け放す。風と一緒に月明かりとヤブ蚊が不法侵入し、睡眠を妨害する。
 眠れぬまま、明日は何をしようか考える。
 取りあえず、蚊取り線香を買いに行こう。
 片付けと行っても、することはほとんどない。一番面倒な相続も完了した。親戚がいないから楽だった。
 目を閉じる。
 風鈴が鳴いている。いや、喘いでいる?

「主人は、盆開けに、仕事で一週間家を空けるの。その時に」
 それは、母の声だった。くぐもった、何かに顔を押しつけているような響きだ。
「息子さんはどうするんだい」
 男が答える。この声も、私は知っている。誰だっただろう? 思い出せない。
「実家に、そう、実家に泊まらせるわ。盆に里帰りして、私だけ先に帰ってくれば良い」
 そうか、母は、男の胸に顔を埋めているのだ。だから、こんな声。
「彼は、一人で泊まってくれるかな」
「もちろん、もう一年生だもの。きっと、大喜びで、夏休みの終わりまでだって泊まるって言うわ」
 二人が笑う。それから、沈黙。いや、微かな喘ぎ声。ああ、母が悦んでいる。堪えてもあふれる喘ぎが、荒く、大きくなってくる。床のきしむ音。やめろ、やめろ、やめろー!

 息が荒く、体中汗まみれだった。
 リアルな夢だった。まるで、ビデオを見ているような。いや、映像は無かった。声だけだった。
 起き上がり、台所で水を飲んだ。
 そうだ、あの男、うちによく来ていた、母が「俊さん」と呼んでいた男だ。
 俊さんは、この町の人間ではなかった。母は行商人だと言っていた。きれいな小物や珍しい雑貨や、女の人の喜ぶものを売り歩いているのだと。結婚する前には風鈴を買った、とも言っていた。
 その男と、母は逃げたのだ。じゃあ、あれは、実際起こったことなのか? 私は見ていないのに、なぜ、知っている? なぜ、夢に見る? ひょっとして、私の想像か?

 あの夏、父が出張で、母の実家で一人過ごしたのは事実だ。行きは母も一緒だったが、一人先に戻ったのも事実だ。家の近くで橋の架け替え工事をしていたのだが、何か事が起こって立ち会って欲しいと電話がかかってきたのだ。もっとも、それが嘘だったことを、今は知っている。

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