記憶喪失に幻聴までが、そえられて。
目の前は大型電気店のネオンが光って見える。ふるめかしいデパートとその電気店をつないでいる広場の真ん中は斜めにコンクリートの斜面を伝って落ちる噴水があった。
しばらく歩くと、コンコースのあたりでひとり狂ったように踊っている女の人がいた。赤い靴で。白いワンピースのまま誰の視線も感じないふぜいで、肩までの髪が右右左右右ってかんじで振り乱されてゆく。風を巻き込む体にわたしはみとれた。あの人のあの踊りのなかに入ってゆけば幸せじゃないかと。その人はまるで記憶を持たない人のように踊りくるっていた。
わたしが見ている時にもうひとつの異質の視線をわたしは感じて振り返る。
振り返ったけど、そこは人の行き交う場所なので誰が誰をみているかわからなくて、ふたたび白いワンピースの踊りを見入った。
スカートの裾が放物線を描いて舞ったせつな、急に彼女がしゃがみこむ動きをしたのでその曲線は断ち切られて、地面の上に吸収されていった。
その時わたしの耳にシャッターを切るような音がした。連写している音が、背中から聞こえる。たぶんこのダンサーを撮っているんだろう。背骨にその音が突き刺さる度にわたしの身体にみえない穴があいて、ぽっかりどこかが空白になったようなふしぎな気持ちになった。
これ以上ここにいても記憶がよみがえるはずもないので、あきらめてアパートに帰ろうと思った時、声をかけられた。
「すみません、マッチセラーさんですよね」
あの部屋で眠りまた目覚めたときに、記憶のなさに呆然とするそんな朝はいやだと思っていた。あんなにちっちゃなアパート、この世の中から消えてなくなったってしまったって、かまわない。たとえば一夜明けて更地になっていたら、バス通りから見ている人たちは口々にいうに違いない。あそこって昔なにが建ってったっけ? コンビニ? ちっちゃな雑貨屋さんっだっけ? 違うよメモリアルホールかなんかじゃなかったっけ。あの町内会の人たちの誰かが死んじゃった時に行くお葬式の場所。
そんなもんかもしれない。他人に対する記憶なんて。
とかって思ってたときに声をかけられて、心臓のありかがわかるほどびっくりした。
「はい?」