「すいません、”東京”ってカッコ付きのもので。友人たちとの隠語っていうか。なんというか、僕はもっとデカイ人間になりたい。この街の人たちと、おんなじスタートラインに立ちたいんです」
「ははーん」と、横を向いてママはビールをもう一口飲んだ。
「僕ら”東京”じゃない人間にとって、人生は最悪。ドラッグストアで品出しをして、あるかもわからない話で人を笑わせようとして、世の中で起きていることは、テレビの中でみる劇かなんかだと思っている。監獄みたいな田舎の中で、生きているんです。でも、僕はそれしか知らないから、だからここから抜け出したいんです」
数十秒間、ビールが喉をこす音だけが聞こえた。その時間があまりにも長く感じられて、やっぱり来たことを後悔しはじめていた。
「それで?」
「それでって、なんですか?」
「24時間願いが叶うんだとしたら、なにを叶えたいの?」
「叶えてくれるんですか?」
「あなたはどうしたいの?っていう意味」
ありとあらゆることを考えてみた。お金、学歴、仕事、卓越した能力、地位、名声。そのどれもが、ある瞬間に泡となって消えると知っていたら、ほとんど意味がないように思えた。24時間でなにを叶えるというんだ。
「30分くらい、ちょっと考えさせてほしい」と言って、僕はしばらく黙りこくっていた。はいはい、とママはその間テレビを見ながらビールを飲みはじめる。数分してすぐに、僕は考えているフリをしながら、テレビでどんな映像が流れているのかを、リポーターの声からこっそり想像しはじめていた。
それから何分か経ち、3杯目のビールを飲み干したママは、ゆっくりとこちらを向き直った。目があって、僕はちょっとだけ背筋を伸ばした。
「むかし、小さい時ね、シンデレラにすごく憧れたの。毎日毎日暗い日々。あんなに明るく描かれてるけど、きっとどん底よね。それでも、周りの女の子たちとおんなじように夢を見て、妖精のおかげで幸せな暮らしを手に入れた」
僕は、今更ながらに自分が立ちっぱなしでいたことに気がついて、ママの目の前のヘリノックスに静かに腰をおろした。
「でも思ったの。どうして妖精は0時までの魔法をかけたんだろうって。たった数時間かそこらの夢なんて、すぐに終わっちゃったら意味ないじゃない」
はあ、と僕は力なく相槌をうった。なんとなく、ビールが飲みたくなっていた。
「けどね、それじゃダメなの。0時までの魔法じゃなかったら、きっとシンデレラは幸せにならなかったわね。優しさとか、感謝とか、継母たちのいやらしさとか、そういうのがそのままあって、初めてシンデレラなのよ。それが全部なくなってしまったら、シンデレラはシンデレラじゃなくなるからね。もっと幸せになれる可能性があるかもって、それを知ることが彼女の強さになったのよ」