小説

『ながやつこそ』戸上右亮(『粗忽長屋』)

「ぜんぜん仕事が終わらないよ~(涙)神さま、どうして私はホテルに缶詰め状態になってまでお仕事しなくちゃいけないの? せめてもの慰めに取ったシャンパンは甘すぎるし…どこまでも不幸がお似合いの私(白目)」
 そんな自虐風コメントを添えて、ガラス製のクーラーの中で氷に埋もれるシャンパンボトルの写真をアップロードする。もちろん選んだのは、ホテルのロゴが入ったカードキーがしっかり映り込んでいるものだ。
 この「ピクトダイアリー」は、ユーザーが日記を写真付きで一般公開するスマホアプリだ。基本的には知り合い同士のコミュニケーションツールとして利用されているが、中には数千、場合によっては数万のフォロワーを持つ人気アカウントも多く存在する。
 実は私のアカウントも、そのようなものの一つだ。私がひとたび日記を掲載すれば、六千人を超える私のフォロワーたちが先を争うようにコメント欄を埋めてゆく。
「KOSOさん、残業までセレブ感ありすぎです!」
「仕事ができるというのも大変なのですね…頑張ってください!」
「まさかライアットホテルですか? ゴージャスな残業ですね(笑)」
「狭いオフィスで残業続きの私からしたら、まるでうそみたいです」
「KOSO」というのは私がここで使っている名前だ。「八ヶ(やが)夏(なつ)」なんてレアな本名を使ったらリアルな知り合いにすぐバレてしまうから、私の好きなスーパーモデル「KOSONO」からこの名前をつけた。甘すぎないユニセックスな響きが私らしくて、気に入っている。
「だよねー。ここ、一泊七万円はするもん。ふふふ」
 ベッドサイドの折り畳みテーブルに置かれた缶入りチューハイを手に取ると、小指をピンと真っ直ぐに立てていたことに気付き、少しだけ笑ってしまった。ゴージャスな気分は、こんなところにも無意識に表れてしまうらしい。
「今日も一日おつかれさま、わたし」
 他人のブログやSNSからそれらしい写真を見つけてきては、KOSOの日常として公開する。それだけでこんな気分を味わえるピクトダイアリーは魔法だ。たとえ現実では恋人いない歴イコール年齢で、友達もいないから休日は部屋にこもりっきりで、仕事のキャリアは既に絶望的な私でも、ここでは全てが充実した日々を送っている。
 高級フレンチを「おひとりさま」で楽しむ私。終電を逃したらハイグレードホテルで優雅な夜を過ごす私。コンサルタントとして多忙な日々を送りながらも、休日はお洒落な料理を作り友達とホームパーティーもしちゃう私。
ここには、私が思い描く理想の人生がある。
 虚しくなることがないと言えば、うそになる。スマホからふと視線を外せば、高級ホテルで優雅な時間を過ごしているはずの私がいるのは、六畳一間の安アパートだ。独り暮らしを始めてから嬉々として集めたぬいぐるみも、ピンクと白で統一されたインテリアも、かわいいキャラクターものの部屋着も、三十六歳になった今ではもう「痛い」ことくらい重々承知している。かつての同級生たちをSNSで覗き見すれば、夫婦でハワイのサンライズを眺めていたり、やんちゃな子供たちに手を焼いていたり、ママ友たちと高級ホテルでアフタヌーンティーを楽しんでいたりと実に様々だが、一つだけ全員に共通して言えることがある。それは、私よりも確実に充実した人生を歩んでいるということだ。

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