小説

『ながやつこそ』戸上右亮(『粗忽長屋』)

「フォロワーの皆さま、今まで本当にありがとうございました。皆さまひとりひとりの存在が、私にとって生きる力の源となっていたと思います。皆さまと出会えてKOSOはとても幸せでした。ご冥福をお祈り頂ければとても嬉しく思います」
 あ、この場合って、亡くなるのは私だから「冥福を祈ってください」がいいのかな? それとも、こういう時はやっぱり「ご冥福をお祈りください」でいいのかな? ネットで検索してみても、自分が亡くなった際の挨拶についてはテンプレートが見当たらないので、書き方がわからない。
 ああ、でも、これでもう本当にお別れなのだ。でも、フォロワーのみんながいてくれたおかげで、まるで夢のように幸せな人生だったなあ。みんながいなかったら、私は私でいることすらできなかったかもしれない。
 さよなら、みんな。
 そうだ、ピクトダイアリーでは一度も見せたことがないけど、最後の日記くらいは私の自撮りで締めくくろう。たくさん泣いちゃったから、きっと両目はうさぎみたいに真っ赤だろうし、鼻の頭もトナカイみたいに真っ赤だろう。それでもみんな、きっと喜んでくれる。いつもみたいに、「KOSOさん素敵です」って言ってくれるはずだもん。
 涙をふいて口角を上げ、顔を少しだけ傾ける。もちろん基本の上目遣いも忘れずに。そして私は、極上の笑顔をレンズに向ける。
 しかしこんな時に限って、カメラがおかしくなっていた。いくらレンズを向けても、ここにいるはずの私が映らない。
なんで? KOSOは、ここにいるのに。みんなとお別れしなきゃならないKOSOが、今ここにいるはずなのに。

 カメラに映るこのおじさんは、一体誰なの?

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