小説

『オールドマン オブ マリッジブルー』伊佐助【「20」にまつわる物語】

 愛子と愛子の友人と田中と田中の友人と田中の両親と、そして誠司。二十人が集まった会場の中で誠司はたった一人、正常と呼べる思考回路が失われており、あまりの嫉妬がゆえ、愛子を取り戻すためには田中を殺さなくてはならないという頭しか持てなかった。殺意が誰にも気づかれぬように社交辞令的な挨拶以外は誰とも話す事はなく、そのせいもあってか誠司が周りから話しかけられる事もほとんどなかった。ドレスを着た愛子は美しかった。そんな娘がいる中でこの場を地獄にしてしまうのは何とも娘に申し訳ない話なのであるが、この日を逃してしまえば田中を殺す絶好の機会は二度と来ない、という勝手な思い込みから娘の気持ちより自分の怒りを優先しなくてはならなかった。

 殺そう。
 殺すなら今日しかない。

 皿の上の肉を食い終えると誠司はナイフを膝の上のナプキンに乗せて付着した肉汁を拭き取り、こっそりとズボンの右ポケットにしまい込んだ。

 あとは殺すタイミングを見計らうだけだ。

 しかし、ある事がきっかけに誠司の怒りは静まった。それは昼食が終わってスタッフが食器を片付けている最中に起きた。
緩やかな曲調のラブソングが延々と流れ、会場内全体が「幸」の雰囲気に包まれていたが機材の不具合か何かで突然に止まった。これからサビに入って曲が盛り上がるという直前に停止し、スタッフの動きも止まった。
その時である。

「グゴエエイ!」

 曲が止まると同時に誰かがゲップした。
 それはとても大きな音のゲップで、全ての者の耳に入った。勿論、誠司の耳にも入った。ゲップの出どころは誰もが分かった。田中である。皆が田中の顔を見た。田中は恥ずかしくなって下を向いた。グラスビールを一気に飲み干した田中が曲に紛れるだろうと普段と変わらずの大きなゲップをしたのだが、不運にも曲が止まってしまったのである。

「おいおい。頼むよ、真司。ここはお前ん家じゃねえぞ」

 田中の友人の一人が笑いながら言った。
 他の仲間も笑った。ラブソングは再び流れ始めた。愛子も恥ずかしくて苦笑いしながら下を向いた。同じく田中の両親も恥ずかしくて苦笑いしながら下を向いた。

 そんな中、笑わない男が一人いた。
 誠司である。笑いの渦の中で一人、ある事をふと思い出していた。佳子との結婚式を思い出していたのだ。誠司は皆の前で佳子の両親に感動的な言葉を述べていた最中、そして、会場内が涙で濡れている最中、腹から込み上げてきた大きなゲップを無意識に出してしまった。

「グゴエエイ!」

 皆の涙が笑いに変わる。誠司はとても恥ずかしくなって下を向いたが、佳子の父は一歩前に出て、そんな誠司の肩に手をやってこう言った。

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