小説

『風の旅人』せん(『北風と太陽』)

「ちょうどよかった!これよかったら」
 かわいくラッピングされた包みを渡される。ピンクのリボンまで付いていた。
「え、俺に?」開けてみると、中からクッキーが出てきた。
「陽菜の手作り」ほどよく厚みのあるピンクの唇がにっこり微笑む。
「い、いただきます」拝んでから口に入れる。「うん、おいひい」
「よかったあ」陽菜の笑顔がぱっとはじける。口の中でとろけるような甘くて優しい味。まるで陽菜のようだ。俺のために焼いてくれたクッキー。男は飲み込むのが惜しくてしばらく口の中に滞留させていた。
カランコロンと店のドアが開く。四人の学生グループだ。
「いらっしゃい。ちょうど、よかったあ」陽菜が男たちに駆け寄る。
「これ、よかったら。陽菜の手作りなの」ラッピングされた包みを四人に渡す。学生たちから、おぉー!と歓声があがる。そして学生たちと陽菜は奥のテーブルに行ってしまった。
 風音が無言で、男の前に水の入ったグラスを置く。「ども」男は滞留させていたクッキーを流し込んだ。さっそくカラオケが入る。陽菜の十八番だ。陽菜のかわいくて元気のいい歌声が響く。少し調子がはずれることもあるが、それも陽菜の魅力だ。学生たちは盛り上がっている。
 はは…。自嘲気味に笑いながら、クッキーをもう一枚口に入れる。さっきより甘くない。
「一緒にお店やろうって、陽菜が言ったの」風音が言った。
「みんなが、明るく暖かくなれる場所にしようって」
「はは、陽菜さんらしい。素敵なことですね。実際そうですし」男が振り付けをしながら歌う陽菜を見つめる。陽菜の周りはいつもぱっと明るい。
「そうね…」グラスは拭きながら風音は静かに言った。

 木枯らしが吹き始めたその週、男は花束を持って店の前に立っていた。季節はずれのひまわり。太陽のような陽菜にぴったりの花だと思ったので、ネットで検索して置いてある都内の花屋をやっと見つけたのだ。少し値は張ったが、それはしょうがない。店に通っているうちになんとか情報を集め、来週が陽菜の誕生日であることを突きとめたのはいいが、来週は泊まりの出張が入っているので来られない。それで一週間早いが花束を持ってきたのだ。こういうことは遅いより早いほうがいいだろう。
 カランコロン。ドアを開けると、カウンターに一人、客がいるだけだった。いつも男が座る奥から二番目の席に中年のサラリーマンが座っている。ぴったりと身体にフィットしたスーツに、磨かれて光沢があるが長年使い込んだ靴。役職についている人特有のゆったりとした余裕を感じる。白髪の交じった男性の横顔はどこかで見たような気もするが。とりあえず入り口から二番目の席に腰をかける。風音が脇に置いたひまわりの花束をチラッと見てから男に「ビールね?」といつものように言った。おもむろに中年の男性が立ち上がる。

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