部下って俺のことか…。はは…、今日も切れ味鋭いな。
あれから男は足繁く店に通っていた。と言っても、さほど給料取りでもない男は、週一、金曜日に訪れていた。残業があっても次の日が休みなので遅くなってもかまわないからだ。そして通っているうちに、細身で黒髪のいつもカウンターにいるのが姉の風音、栗色の髪の毛をふわふわと揺らしながらいつも楽しそうに店内を動きまわっているのが妹の陽(ひ)菜(な)だということも分かった。店名のとおり、二人は北風と太陽のようだった。無表情でいつも辛辣な風音に、いつもみんなに優しい陽菜。もちろん男は、太陽のような陽菜の笑顔に癒されに来ていた。
「まあ、そうなんですけど、俺なりに一応考えたプランってのもあって。でもそんなの言う機会さえ与えられないままですよ。俺なら、もっと若い意見も取り入れるんだけどなあ」
「やりたいことをしたければ偉くなるしかないわね」今度はまな板の上で何かを切りながら風音が言った。「でもその前に新人クンはまず靴ね」
「へ?」男は自分の靴を見る。入社のときに買った靴は、今の自分と同じで見るからにくたびれていた。
「ああ、入社からずっとなんで、そろそろ寿命かな」
「新しきゃいいってもんでもないでしょ。履きなれた靴こそちゃんと磨かなきゃ」
「お洒落は足元からってやつですね」それ知ってます、とにこやかに笑う男に
「自分の足元さえおろそかにするような人は、仕事もたかが知れてるってこと」風音は肩にかかった黒髪をはらって冷たく言い放った。
そんなもんですかね。しょげ返った男の前に小鉢が置かれる。男の故郷の漬物だった。一口入れる。懐かしい味がした。なんとなくほっと一息ついたところで、店内を見渡す。
「今日は陽菜さんは?」
その日、陽菜はいなかった。陽菜はいつもくるくると忙しい。太陽の隠れた店は少し暗くてだいぶ寂しい。
「さあ、あの子は友達っていう人が多いから」
「ふうん、じゃあ風音さんは?」
「どうかしら。友達って何かしら」
…はは、さいですか。聞くだけ野暮ってもんでした。
「あ!新人クン!」店のドアが開いて、陽菜が嬉しそうに駆け寄ってくる。
初めてこの店を訪れてから、風音に新人クンと名づけられ、多少プライドを傷つけられ憤慨していたが、陽菜にそう呼ばれるとついデレてしまう。
陽菜の均整のとれた健康そうな身体からはエネルギーが溢れている。その瞳はいつも何か楽しいものを探すようにキラキラと輝いていた。