小説

『神様、どうか』守村知紘(『駈込み訴え』)

 私はただ金欲しさにあの人を売っただけだ。あの人を愛していたからなんかじゃない。誰があんな幼稚な、嘘つきの、意地の悪い、ペテン師など愛するものか。

 私は最初からあの人を愛してなどいなかった。私は商人らしい打算で、ついて行けば何か得があるかもしれぬと、あの人に付き従っていたのだ。それが最近になって自分の思い違いを悟り、あの人の側に居ても何の得も無いのに気付いて、こっちから捨ててやったのだ。いや、売ってやったのだ、銀貨三十枚で。

 ……それで、その肝心の銀貨は何処にやったんだった? 汗ばんだ両手に私は何も持っていなかった。おかしい。私はそのために、あの人を売ったはずなのに。銀貨は何処だ。探さなければ。何せ私は金にがめつい商人なのだから。その卑しさゆえに私はあの人に疎まれたのだから。金だ。金だけだ。金だけが私の生きる意味だ。

 
 人気の無い夜の町を、銀貨を探して私はひたすらに駆けずり回った。だが、銀貨は何処にも無かった。そもそも私は何処で銀貨を失ったのか。この町に来た時に、私は銀貨を持っていただろうか。私にはもう、それすら分からない。生き甲斐だったはずの、この世で何より大切な金のことさえ、今の私には分からない。

 酷く疲れて、その場にしゃがみ込む。それが銀貨を失ったせいかは分からないが、胸も頭も体中がスカスカで、そのどうしようもない空虚さとやり切れなさに、涙がとめどなく流れた。

 ああ、もう銀貨も無いし。何もかもどうでもいい。

 死のう。

 そう思い立った時、とても不思議なことが起こった。私の意向を汲むように、ある物がそこに現れたのだ。今まで私の人生に、自分の思い通りに何かが与えられることなど、一度も無かったのに。

 それなのに今、私の目の前には、おかしなことに一本の大木と、その枝に釣り下がった丈夫そうな縄と、木製の踏み台があった。縄の先端は明確な意図を持って、輪の形に結ばれていた。それを見て私は、思わず笑った。私は今まで神も悪魔も呪いも幽霊も信じていなかった。しかし今初めて信じられそうな心持だ。

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