小説

『神様、どうか』守村知紘(『駈込み訴え』)

 ああ、でもそれさえ私の愚かな幻想でしかありませんでした。貴方の愚かさは私が思うような子供の無邪気さとは違っていた。あくまで私を虚仮にし、辱めようとする悪意あるものだった。

 貴方は私の足をも丁寧に洗い、すっかり油断させた後で、いきなり弟子達の前でこう言い放ちました。

 身も心も潔白の弟子達の中、一人だけ穢れた者が居る。その者が自分を裏切るだろう、と。

 そして貴方はあまりのショックに青ざめ震える私の唇に、裏切り者のしるしである、一つまみのパンを食べさせ、

 これはとても不幸な男なのだと。生まれて来ない方が良かったと。

 あれだけ自分に尽くして来た私に、よりにもよって他の全ての弟子達が見ている前で、裏切り者の烙印を押した。

 あの人と出会う前、私は貧しい商人だった。日々は理不尽と辛酸の連続で、たまに他と比べれば、まだマシな瞬間がちらっとあるだけで、良いことなんて一つも無かった。

 しかしそんな私でも、まだ体験したことのないような、それは酷い恥辱だった。

 それからのことはあまり覚えていない。ただあの人のお前の為すべきことを為せという命令に従って、ああ、やってやろう、殺してやろうと、私は料亭を走り出て、言われた通りに密告しに行った。

 何をどんな風に言ったのか、あまりの気の高ぶりのせいでほとんど記憶に無い。ただ一つだけ、小鳥がやたらに鳴いてうるさかったのを覚えている。

 私が役人の下へ駆け込む途中の森でも、小鳥がピィピィ、まるで気でも違ったみたいに鳴いていた。私は何故かそれが酷く気になって一瞬だけあの人への強烈な憎悪も忘れて、その鳥の姿を夜の木々の中に探した。

 ……いや、そんなことはどうだっていいのだ。結局鳥は見つからなかったし、私はあの人への復讐を果たした。

 いや、あれは復讐ですらなかった。

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