小説

『主婦とスキャンティ』緋川小夏(『シンデレラ』)

「これ。あたしからお母さんに、母の日のプレゼント」
 雅子が驚いて顔を上げると、遥香が手に持っていた封筒を少し照れくさそうに差し出した。
「母の日……そうか、すっかり忘れてた」
 忙しい日々に流されて、曜日の感覚も曖昧になっている。あわててキッチンカウンターの上に吊るされたカレンダーを確認すると、5月の第2日曜日の欄に大きな赤い文字で『Mother’s Day』と書いてあった。
「ん~もう。いいから早く封筒を開けてみてよ」
「う、うん」
 遥香にせかされて、封印されていたハートのシールをはがず。封筒の中からはバスの往復チケットと、ジュンこと原田純二のショータイムのチケットが入っていた。
「わぁ! ジュンのライブのチケットじゃない! これどうしたの!?」
「お母さん、この頃なんとなく元気がなかったからネットで探したの。原田純二のショーと温泉がセットになったバスツアー。だからそれ行って元気出してよ」
「遥香……」
 解説しよう! 原田純二とは80年代の芸能界を席巻した男性アイドルで、愛称はジュン。その人気ぶりは凄まじく、映画が公開されれば相手役のヒロインの元にカミソリの刃が大量に送り付けられるほどだった。
 当然、高校生の雅子もジュンの大ファンで、下敷きや定期入れにジュンの載った雑誌の切り抜きやブロマイドを忍ばせては小さな胸を熱くしていた。以前、そのことを何の気なしに話したのを遥香は覚えていたのである。
「これで温泉に入って、美味しいもの食べて、ジュンの歌声を聴いて、元気になって。ね、お母さん」
 よく見ると、それは北関東にある老舗温泉ホテルで開催されるショーのチケットだった。ジュンが人気絶頂だった頃、コンサートで横浜スタジアムや日本武道館を満員にしていたことを思うと隔世の感がある。
 雅子は迷っていた。
 遥香の気遣いは何よりも嬉しかった。でも、かつて自分にとっての王子様だったジュンも、すでに孫がいてもおかしくない年齢になっているはずだ。それなのにわざわざ逢いに行って、逆に自らの老いを思い知らされることになるのではないかと不安になった。
「うん……そうね。ありがとう遥香」
 思い出は美しいまま、そっと胸に秘めておいたほうが幸せなのかもしれない。そう思うとネガティブな考えが次から次へと湧いてきて、手放しで喜べなかった。でも自分を元気づけようとあれこれ考えてくれた遥香の気持ちを思うと「行かない」とは、とても言えそうにない。

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