小説

『20歳の夏休み』菊谷達人

「峯山さんですか」
「源一郎くんね。そちらはおともだちね」
 六十をすぎているというからには、もっと顔には皺がいっぱいの、それにやせぎすの、腰もおもたげにまがって、頭は白髪だらけの老女をおもいえがいていたぼくだった。それがいま、開け放った車の窓からのぞく相手は、ぴちぴちとまではいわないが肌艶のいい、表情もひきしまった、つっつけばビンビンはずみそうな女性だったのだ。
「どうぞ、乗って」
 うながされてぼくは、後部座席のドアをあけて、こちらもまたあぜんとしている凧を押しいれた後からのりこんだ。
「お母さん、いかが?。電話の声は元気そうだったけど―――」
「はい、元気です」
「あなたとは、これまで一度もあっていなかったかしら」
「とおもいます」
「何歳になったの」
「20歳です」
「そちらの彼も」
「―――おい、自己紹介しろよ」
「凧です」
「たこ………」ふきだしかけた彼女は、あわてて「いいお名前ね」
 圭華はアクセルを踏み込み、車は坂道を一気にかけあがった。
 目的の場所にむかっている間、彼女の気取らぬ調子につられて若者二人も多弁になった。
 最初のうちは圭華の書の話や、美大での勉強の様子からはじまって、だんだんぼくたちのふだんの生活におよび、ずばり彼女のほうから性体験はあるのと露骨にきかれて、ぼくも凧もどぎまぎしてしまった。
「20歳にもなれば、あって当然よね」
「ほんの真似ごと程度で………」
 ためらいがちにぼくがいうと、
「そんなことでどうするの!」
 運転席から叱咤の声がとんできた。
 話はそれから、凧の武術にかわって、例の『気』におよび、さいごに催眠術にたどりついた。
「催眠術」
 俄然彼女は興味を示し、じぶんも寝る前にいつも、自己暗示の訓練をしているといった。
「圭華さんのその若々しさも、もしかして、自己暗示の結果じゃないんですか」
 すると彼女はうふふと笑って、
「ありがとう。じつはそうなの。自分は年だと思ったら、本当に年をとるという話をまえにだれかからきいて、それならいつまでも若いと思うことで、若さが保てるんじゃないかとかんがえたの。それから、自己暗示に興味をおぼえて、その関係の本をよみあさったりまた、おなじように自己催眠で心身をわかがえらせているグループとまじわったりするようになったの」

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