小説

『楽園』西橋京佑(『桃太郎』)

 ”楽園”ならぬ鬼ヶ島地区は、刑務所を出所した犯罪者だけを住まわせる地区だと、昔からの言い伝えで聞かされていた。本当にあることなんて誰も知らなくて、ここにあるという場所がどんどん変わるから「邪馬台国みたいだ」と密かに笑っていた。たぶん、一時期は子供の躾のための迷信かなんかだったんだと思う。「鬼ヶ島から鬼が来るよ」と言うと、たいていの子供は黙った。「鬼ヶ島に入れちゃうよ」と言うと、たいていの子供は泣き叫んだ。そこに入っているのは根っからの罪人で、どうしたって更生の余地がないと烙印を押された人だけがいると母は言っていた。
「ほんで、どうする?」
 猿が平静を装って言った。強がんなよと思いながらも、僕も汗をかいていた。
「どうもこうも。行くっきゃないよ」
「でもさ、本当にそこにいるわけ?だって、誰もかれもがそこに入るわけじゃないんでしょ?」
 犬山のくせに、まともなことを言うから腹が立つ。
「でも、そこ以外に行ったってどうしようもないだろ。しかもさ」
 みんながこっちを向いた。酉飼ですら、飲んでいたお茶を口から離していた。
「しかも、あいつは絶対にそこにいる。頭が狂ってるんだ。真顔でそんなこと言ったって仕方ないかもしれないけどさ」
 猿が何か言おうとしてやめた。言いたいことはだいたいわかる。それでも、僕はそこに行かなければならないんだ。それを言われなくても、猿渡も分かっているみたいだった。
「それはそうと、何で”楽園”なわけ?そればっかりがずっとわかんないんだけど」
 犬山はおずおずとしていた。
「ネットによると、鬼ヶ島地区からは夜な夜な抜け出す奴がいるらしい。そいつらがどこから出てくるのかは正直わからないんだけど、でも何でか朝になるまでには戻ってくるって言う噂があるわけ」
 誰が流しているんだろう、メリットなんかないのに。
「そこに戻るってことは、そこの方が外にいるよりもずっといいってことだろ?確かにこんなボロボロの昭和初期みたいな街だもんな、周りは。それでも、少し外れれば街もある。で、そんなになるってことは、そこは奴らにとっては天国なんじゃないかって思われているわけ」
「だから”楽園”」
 猿が後に続いた。地面にあった石ころを拾い上げ、用水路、の跡のようなところに投げ込んだ。
「”楽園”には、やばいやつしかいないんだよ。正気の沙汰じゃないよ、そもそも人を殺っちゃった奴らなんだもん」
「それで、“鬼退治”に行くってわけ?」
 酉飼がこっちを見て不安そうに言った。
「それは、なんで?」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10