小説

『ベーカリー ヘクセンハウス』鳩羽映美(『ヘンゼルとグレーテル』)

そこまで言って、怒らせてしまっただろうかと、おそるおそる老婆の顔色を窺う。
しかし、老婆は意外なほどさらりとこう言った。
「そうか。じゃあやっぱり、元のまま店に出そう」
「え、いいんですか?」
「あぁ」
そう言って、ふいっと背けた老婆の横顔は、なんだか少し嬉しそうだった。
「あの、いつも思ってたんですけど」
「ん?」
「なんか、ここのパンって不思議な味がするっていうか、なんか、甘い?っていうか。でも砂糖の味じゃないような気がして。あの、なにか、隠し味が入ってるんですか?」
私が尋ねると、老婆は少しだけ目を見開いたあと、歯を見せて笑った。
「私の生き血が入ってるのさ」
「……はぁ」
「笑うところだよ!」
「え?あ、いや、すみません」
「っとに、土偶みたいにすっとぼけた顔して」
いつも思うが、どうしてそんなに悪口のレパートリーが豊富なのだろう。
でも、あまり傷付かなくなってきた。それは、老婆がどれだけ私の外見の悪口を並べても、それが私の内面を嗤うものではないような気がするからだと思う。
老婆はパンを下ろしたあとの鉄板を掃除しながら、ぽつりと言った。
「でも、本当に、命は入っているよ」
「……いのち」
老婆の命が入っているらしいパンを、またひとくち咀嚼して飲み込む。
甘い甘いそれが、私のなかの、ぽっかり空いた部分に落ちていく。
それはただの、暴飲暴食で広がりきった胃袋のはずなのだが、不思議とそれだけではないような気がした。
老婆がまた、いひひと笑う。
「本当に、食べてるときだけは顔から辛気臭さがなくなるねぇ」。
そういえばこの老婆の前でものを食べるときは、不思議とあの、身を焼くような羞恥心が湧いてこなくなった。
いつものように老婆の「またおいで」を聞き、私は満たされたお腹で家に帰った。

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