小町もまた、変わり始めていた。夜を徹して少将の訪れを待つようになったのだ。これが恋だとは思わないが、待たずにはいられなかった。情けが情に転化したのかもしれない。しかしいくら耳を澄ませても、男の足音は聞こえない。いつかの呼気も聞こえてはこない。風に躍らされた朽ち葉が、地をこする音が聞こえてくるばかりだった。そうやって朝を待ち、肩を落としてうなだれていると、女官がどこからか芍薬を運んでくるのだった。
よもや少将はとうに百夜通いをやめたのではないかと、そう疑うこともあった。女官が気をきかせて、どこからか芍薬を摘み取ってきたのではないか。そのほうがよほど現実的な気もしたが、一向に萎れぬ芍薬の一群れを見るたびに、やはりこれは少将が運んできたのだと思わずにはいられなかった。物の怪のたぐいを信じるたちではなかったが、しかし理にかなわぬことがまま起こるのが世の常だ。恋とはそういうものであると、小町は思っている。人を恋うこころほど、不可思議なものはない。
ふた月が過ぎ、み月が過ぎた。芍薬の花は増えるばかりだったが、小町が少将の姿を見ることはあれきりなかった。姿を見せぬと告げたのは自分であったはずなのに、いるかいないか分からぬような男の姿を求めるのは我ながら滑稽な気もした。それでも少将の身の上を案じ、やがてくるであろう逢瀬のときを思い侘びる小町の姿がそこにあった。
少将が思い半ばで倒れたのはちょうど百夜の夜、小町の屋敷からほど近い薮のそばであった。寒さに凍え死んだのか、野犬に喰い殺されたのか、それを伝える者も今はない。あとわずかの道のりで果てたのかと思えば、それもまたぞろ哀れであった。
小町の命でそこには塚がつくられ、九十九夜を捧げられた芍薬の花々がそこに手向けられた。一輪一輪をわざわざ地に挿したのは、亡き人を思う女の戯れであったろうか。そもが摘まれた花ゆえ、芍薬は三日とたたずに花弁を落していった。はじまりの晩から、百夜を咲き続けた花も同じことだった。一枚一枚はらはらと落ちていく様は、地上三寸の雪のようであった。
あたりには花の香だけが、いつまでも消えずに残った。衣にまつわる薫香さえもかき消すほどに、強く芳しく匂うのだった。そうして失ってはじめて、小町はおのれの心の在りように思いを致すのだった。花の色を失うことよりも、花そのものを失うことのほうが、はるかに悲しいことなのだと知った。そうして小町は、ただ一本がたりないことに気づいた。その晩、少将が運んできたはずの芍薬はどこにも見当たらなかったのだ。
それから百年の後、荒れ果てた少将の塚で一人うずくまる老婆の姿があった。旅人が問うと、花の咲くのを待っているのだという。年枯れた表情に美しさの欠片もなく、歯の隙から漏れる言葉も忌み言にしか聞こえなかった。
さてはあやかしかと旅人が一喝すると、老婆は泣きながら憐れみを乞うた。