小説

『百本の芍薬』末永政和(『百夜通い』『夢十夜』)

 その次の晩から、少将の百夜通いがはじまった。人目に立たぬよう、伴の者は連れず独り夜影を忍んで歩く。牛車には乗らず、馬も使わない。どうしてだか、この道行きにはそれがふさわしいように思われた。手にした芍薬の大輪だけが命の燈火のように、月の光をあびて艶かしく揺れていた。
 道々少将は考えた。夏ももう終わろうとしているのだ。屋敷の芍薬も花の季節を過ぎて、すでに萎れ始めている。野の花とて同じことだろう。あと百日、冬を迎えたそのときに、芍薬が咲いているはずがないのだ。
 それでも少将は恨み言をこぼすでもなく、黙って小町の屋敷に芍薬の一輪を置いていった。残り九十九日、信じて続ける以外に術はない。空咳が指の隙からこぼれ出た。背中が少し痛んだが、通い路の疲れと慰めた。

 やがて小町は女官の一人から、少将がさながら幽鬼のように、昏黒のなかを彷徨いながらこの屋敷まで通っていることを聞かされた。あれからひと月がたとうとしていた。あのとき感じたことは真実であったか。きっと病が少将の体を蝕んでいるのだろう。今や死の淵を歩いているに等しいのかと、そう思えばひどく哀れな気がした。悪いことをしたなどとは思わぬが、人を恋うこころとは、なんと悲しいものかと思わずにはいられなかった。
 自分もかつては、命を燃やすような恋をしたのだ。夜着を裏返して眠りにつけば、思い人の夢に立つことができると信じたこともあった。やがて恋しさ極まって、せめて夢のなかだけでも思い人を忘れられればと願ったこともあった。露のような命のはかなさを嘆じ、憂き言に浸る日もあった。いつからこのように、人の恋路を嘲笑うようになってしまったのか。少将のこころを鬱陶しく思い、無下にはねつけたあの晩のことが今さらながらに思い出された。
 今日明日にでも、あの男は命を落とすのではないか。今さらどうすることもできず、せめて歌を詠もうと思っても、悲しいかな言の葉のひとつも湧いてはこない。つもるのは朽ち葉ばかりで、それとてやがては塵と消えるのだと思った。
 翌朝、女官が運んできた芍薬の花を見て、小町は安堵にひたる自分に気づいた。ああ今日も、あの男は生き延びたのだと思った。傷ひとつなく誇りかに匂う大輪を見て、それが少将の命のひとかけのように思えた。幾十本にも増えた芍薬は、いずれも花弁のひとつも失うことなく朧々と光を放っていた。

 夏が過ぎ、山の端が色づき始めても、少将は変わらず芍薬を手に、小町の屋敷へと通った。雨風にさらされても、冷たい夜気に吐息が凍っても、足の運びを止めはしなかった。通い始めたころは体が重く足を引きずるように歩いたものだったが、このごろは妙に体が軽く、おのが屋敷に戻ってからも疲れを感じることはなかった。道行きに体が慣れたのだと少将は思っていたが、それにつけても秋深まってなお、芍薬の花が絶えず屋敷の庭に咲き乱れているのは不思議であった。摘み取っても摘み取っても、芍薬は次々に花を開くのだった。

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