小説

『ケテルの羅針盤』柘榴木昴(『裸の王様』)

「そうですか。まっ、怪我がないならなによりです」
「ええ、それは全然……」
 怪我なんかあるわけない。奥さんを眺めたいだけなのだ。この下劣種め。
「大丈夫ですよ。坊や。すまなかったね」
 男の子に注目を集めるように話しかける。
 男の子はぱちくりとまっすぐな瞳で私を見つめた。ふむ、なかなか聡明な顔立ちだ。
「ねえ、おじさんなんで裸なの?」
 このクソガキ。
「……何を言ってるんだい?」
「だって、今、飴拾ってくれた時にみたもん。おちんちん」
 こいつ……このガキ……私の聖なる裸身をおちんちんの一言にまとめやがって。そこじゃない。そこが全てみたいな言い方はやめろ。
「す、すみません。こら、なんてこと言うの」
 奥さんが恥じらう。24時の旦那の前に立った時のように。それを察してやや興奮気味におまわりが一歩迫る。
「あの、どういう事でしょう」
 薄ら笑いをうかべてコートに手を伸ばす。
「どうということはない」
 さっと身を引く。「本当に、すみません」奥さんが子供を引っ張って歩き出す。
 そうだ。危険からは身を引け。それは弱者ではない。懸命な選択だ。
「ちょっとすみません、交番の中にはいってもらえますか」
 だが危険にさらされてしまった以上は戦え。それは覚悟だ。覚悟とは行く末を見つめ、未来を選ぶことだ。羅針盤を回せ。指し示す方向に未来がある。
 私はおまわりの手を振りほどく。交番からもう一人おまわりが出てきた。こうなったら構わない。何人が相手だろうと私は私を裏切れない。
 私はばっとコートを広げると首の後ろのスイッチを引っ張った。
 まばゆい光が世界を染める。夕暮れの光線とともに敗北を染み込んだコートから、今度は逆襲の光が放たれる。裸身に巻き付けたいくつものライトも同時に光った。全部合わせて一万ボルト。私の股間以外の全てが光る。そうすることで照らさずとも未来を持つ聖性が浮き上がる。

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