小説

『吾輩は21世紀の猫である』次元(『吾輩は猫である』)

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 とここまでは百年以上前の吾輩の先達と変わらぬ所であるが、百と十数年に及ぶ日月は人間世界をして大きく変化せしめた。人間世界が変わったならば、必然猫世界も変わらざるを得ぬ。悟りきった者は「天地開闢以来この世は万古不易なり」と宣うかもしれん。物事の表層だけを眺めておったならば百年前も千年前も鳥は鳥であり猫は猫であるからして、吾輩が突然進化して空を飛べるようになったりはせん。だが内部はどうか。人の体内にはバクテリヤが無数に生息ししきりに活動しておるが、人間は一向にそれに気づかず澄まして生活しておるではないか。かくのごとく世界の方が平気な顔をして百年前と寸分違わぬお天道様を昇らせて、ニ百万年前のアンドロメダの光を届けている間にも、内実大いに変わった所もあるのである。それをここに開陳せんとする次第である。もはや何番煎じか分からぬ程に試みられた趣向と言う勿れ。今時の出版物で過去の文芸の再生産で無いものなど無い。皆無である。と大上段に構えて言い放つほど吾輩は昨今の著作物を閲してはおらぬが、いずれ「パロディ」やら「オマージュ」やらご都合な言葉が流行するを以て推して知るべし引いて察するべしである。
 まず吾輩の先達は英語のリードルの教師の家に飼われておったはずだが、吾輩は国語教師に飼われておる。と言ってもこの先生、非常勤講師などと称して、週に半分も仕事に行かない。流行の「半ニート」というやつで、ようやく人間も働くことに飽いたとみえる。我ら猫族のごとく悠々たる人生観をもって思索生活に没入せらるる大隠居士も夙に増えたと聞く。しかし表向きは大いに忙しがっておらねば済まぬと見えて、「お忙しいところ誠に恐縮です」等は人間が顔を寄せ合ったとき開口一番に発せらるる常套句である。主人のような変人が「いえ、暇ですが」などと平々然として答えたならば相手は変な顔をしている。いましがた主人のことを「半ニート」と称したが、この「半」という部分が博打の丁半ほどはっきりせぬ食わせ者である。この「半」の部分に主人の社会的信用度が凝縮されておる。世間様に対しては「教師でござい」と乙に澄まして、生徒に対しては「俺は半分ニートだからねー」などと笑いを取っている。
 主人に就いて吾輩の先達とは異なる点がまだある。先生今年四十をまたいだというのに未だ細君を持たない。ゆえに珍野苦沙弥家でいい塩梅に変人同士の会話に一般の立場から疑義を呈する役割を担っておった人物がいない。だからといって先生別段結婚という制度を軽蔑しておるかというとそうでもない。結婚はしたい。だが好都合な相手がおらん。葬式と違ってこればっかりは一人で挙式できるものではない。更に主人に就いて不名誉な事を言わねばならん。どうも飼われておって悪口ばかり言うのでは義理が立たぬが、事実を曲げて語ることは読者諸君に対して不義理である。これっきりにするので主人には御宥恕願って暴露する次第であるが、主人は未だDTらしい。これは割と近年になって伝播し始めた俗語であり、関西系人気お笑い芸人二人組の謂ではなく、女人と身体的没交渉の者の事を謂う。主人ほど年季が入ってくると畏敬の念を込めて「魔法使い」とも称されるらしいが、不幸にして吾輩は未だ主人が箒に乗って空を飛び回ったり、指の先から火焔を吹き出したりするのを拝見した事がない。

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