「ああ、あれね」
私の質問に仁科さんがクスリ、と笑った。
「昨日、シニアメイクセラピーの講師の方がいらして、そのときに塗ってもらったんです。ヨシノさん自ら、赤いマニキュアを塗って欲しいって両手を差し出して。ええ、それはもう大喜びでしたよ」
「母が自ら……ですか」
「ええ」
意外だった。
マニキュアで彩られた母の指先を見たのは初めてだったし、かつては私にも強く禁じていた。しかも真っ赤だ。それなのに自ら申し出て塗ってもらったなんて。それまでの母をよく知っている私にとっては、にわかには信じがたい話だった。
「やっぱり女性はいくつになっても女、なんですね」
「はあ……」
仁科さんの言葉に、私は戸惑いながら曖昧に頷いた。
もしかしたら母も私を育てるために、自分の中の「女」を押し殺して生きてきたのかもしれない。そんな想いがふっと頭をよぎった。だからと言って同じ我慢を娘に強いる母に共感することは、そう簡単にはできそうもないけれど。
「お花見、したいなァ」
そのとき母が突然、思いがけない言葉を口にした。
「あらヨシノさんどうしたの? 娘さんと一緒にお花見したいの?」
仁科さんが噛んで含めるようにゆっくりと確認をすると、母の顔がパッと明るくなって嬉しそうに何度も頷いた。
「そうね、今日は天気も良くて暖かいし……ちょっと上の者に確認してきますね。ヨシノさん、ここで少し待っていて下さいね」
仁科さんは私と母にそう告げると、小走りでラウンジを出て行った。後はまた、母と向き合う穏やかでほろ苦い時間が残った。
しばらくして仁科さんがラウンジに戻ってきた。
「ヨシノさん、少しなら外に出てもいいそうですよ。良かったですね」
母は両手を合わせてにっこりと微笑んで、さっさと一人で外に出ようとした。
「お母さん、ちょ、ちょっと待って。上着を着ないと寒いわよ」
私は母を仁科さんに頼んで個室に戻り、クローゼットの中から厚手のジャケットを取ってラウンジに戻った。母はもう既に待ちきれない様子で、仁科さんに両肩を押さえられている。まるで遊具を前にした子どもみたいだ。